

食語の心 第101回
作家 柏井壽
コロナ後の食
先々のことは分からないが、いったん落ち着きを見せているコロナ禍。これを書いている令和3年の晩秋は、リベンジ消費という言葉が飛び交うほど、街は活気に満ちている。紅葉シーズンということもあって、京都を始めとして、有名観光地は以前にも増してにぎわいを見せ、人気飲食店はどこも、大行列となっている。 観光地に限ったことではなく、都会はもちろん、地方都市でも飲食店の活況は想像をはるかに超えて、飲食業界は、ホッとひと息というところだろう。
とはいえ、コロナ以前に戻ったかと言えば、どうもそうではないようである。飲食スタイルが、これまでとは明らかに変わったと、店の主人らは口をそろえる。活況を見せているのは、ランチタイムと週末の夜だけで、平日の夜はさっぱり、だと言うのだ。
そう言われればたしかにそうだ。以前はひと月ほど前に予約しないと席が取れなかった店も、平日なら2、3日ほど前でもあっさり予約が取れる。
なぜそうなったのか。外食は日常ではなくなったからだろうと推測する。家で食事をするのが当たり前になってしまい、それが普通だと多くの人が思うようになった。つまり外食は非日常の贅沢と考える人が増えたのである。
ある意味ではこれは、昔に戻ったとも言える。僕が子どものころ、外食は特別な日に限られていた。お祝い事だとか、何かの行事があるときぐらいしか外食をする機会はなかったと記憶する。それがいつしか外食が日常となり、格別の喜びを伴うものではなくなってしまった。その結果が飲食店を格付けしたり、点数で評価することにつながった。
とはいえ、コロナ以前に戻ったかと言えば、どうもそうではないようである。飲食スタイルが、これまでとは明らかに変わったと、店の主人らは口をそろえる。活況を見せているのは、ランチタイムと週末の夜だけで、平日の夜はさっぱり、だと言うのだ。
そう言われればたしかにそうだ。以前はひと月ほど前に予約しないと席が取れなかった店も、平日なら2、3日ほど前でもあっさり予約が取れる。
なぜそうなったのか。外食は日常ではなくなったからだろうと推測する。家で食事をするのが当たり前になってしまい、それが普通だと多くの人が思うようになった。つまり外食は非日常の贅沢と考える人が増えたのである。
ある意味ではこれは、昔に戻ったとも言える。僕が子どものころ、外食は特別な日に限られていた。お祝い事だとか、何かの行事があるときぐらいしか外食をする機会はなかったと記憶する。それがいつしか外食が日常となり、格別の喜びを伴うものではなくなってしまった。その結果が飲食店を格付けしたり、点数で評価することにつながった。