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食語の心 第87 回
作家 柏井壽
仕出し文化
春先にコロナが騒がれ始めてすでに半年。まさかここまで長引くとは思わなかった。多少の影響は残るにしても、飲食店の苦境が延々と続くと予想した人は、ほとんどいなかったのではないだろうか。
 なればこそ、テイクアウトや宅配を手掛け、急場をしのごうとしたのに、完全終息はおろか、ある程度の収束さえ視界に入ってこない状態が続くものだから、飲食業を根本から見直さないと、立ち行かないようになってしまった。
 では今後、どうすればいいのか。その答えの一つが京都にある。
 古くから京都には仕出し文化というものがあり、今で言うデリバリーと、出張料理の混合型として営まれてきた。冠婚葬祭を始め、集いて食卓を囲む時は、外食より仕出しというのが京都人の常だった。
 場所は自宅を始めとする住宅だが、出てくる料理はプロの料理人が作った本格派。時にこれは、外食より贅沢な食事となったのである。
 とりわけ西陣などの旦那衆の家には、数軒の仕出し屋が出入りし、互いに競い合うのが常のことだった。
 時代の流れによって、多くが集える座敷を持たなくなり、仕出し文化が衰微の一途をたどることになってしまったのは、誠に惜しいことである。
 それがこの非常時になり、にわかに脚光を浴びることになったのは、なんとも皮肉なことである。
 客足が遠のいた飲食店がこぞって、仕出しの真似ごとを始めたのだ。ほとんどはテイクアウトの弁当や総菜セットだけだが、一部の店はコース仕立ての料理を配達するようにまでなった。仕出し復活である。
 無論そのことを否とするものではないが、店内での飲食と仕出しでは、調理法が大きく異なることを、当の料理人たちは、承知しているのだろうかと危惧する。
 京都では食事スペースを持たず、仕出しと出張料理のみに専念している「辻つじ留とめ」のご主人に何度か話をうかがったことがあるが、弁当一つとっても、店内で飲食する場合に比べて、留意すべきことは遥かに多いと聞いた。
 調理後にどれぐらい時間が経ってから食べてもらえるか不明なので、食中毒予防に万全を期す、などは当然のことながら、冷めてもおいしく食べられるように調味し、それは味覚だけにとどまらず、食感や香りにまで及ぶというのだ。
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