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ひんやりした磁器の舌触りと、ぼってりした土モノの感触の違いが、違った味に感じさせるのだろう。
 科学的に味は変わらないのだとすれば、五感、六感によって味が変わったのだ。それが人の味覚というものである。
 視覚や触覚などの感覚が加わって、人は“味"を感じ取る。その意味で器や盛り付けは、極めて重要な役割を演じているのだが、近年それが軽視されているのは、まことに残念なことである。
 自らが大切に作った料理を、平気で発泡スチロールの器に盛る料理人がいるのはじつに残念だ。屋台の焼きそばやタコヤキとはわけが違うのだから。
 日本料理ほど多彩な器を使い分ける料理は、世界に類を見ない。大きさも形も異なれば、その素材も違う。陶器、磁器、漆器、竹、ガラス器、錫(すず)や銅など、さまざまな質感の器を料理によって使い分ける。
 スタッキングもできず、保管方法も異なる。なんとも非合理的なのだが、それこそが日本料理を日本料理たらしめている所以だ。
 本コラムでも繰り返し書いてきたが、料理にふさわしい器を選び、美しく盛り付けるためには、長い経験と、豊富な知識、教養が必要だ。
 一朝一夕に習得できるようなものではないのだが、短い修業を済ませて、すぐに独立する若手料理人が、日本料理における器の重要性を、軽くしているのは否めない。
 加えて食べる側にも問題があることも、再三書いてきた。
 かつて『四季の味』という料理雑誌があり、その料理写真には、必ずと言っていいほど、器の名称や作家名などのキャプションが添えられていた。
今ドキの薄っぺらい料理雑誌との大きな違いはそこにある。
 どこそこ産の食材を使って、どんな風に調理して、にしか興味を持たない食べ手ばかりになってしまった。その一因がフードフェスや食イベントにあると言えば、言葉が過ぎるだろうか。
 日本料理に欠かすことのできない器使いについて、最近になって気付いたことがある。その話はまた次回に。
かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数
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