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ウニもクエも、そのまま食べても十分美味しいのに、何ゆえ余計な足し算をするのだろう。
 せっかくのテロワールを台無しにしてしまっているのでは、と僕などは思うのだが、お客さんの反応は上々なのだそうだ。
 料理長いわく、ここでしか食べられないのだから、これもテロワールだ。
そんな言葉を鵜呑みにして、料理評論家やホテル評論家といった、プロライターたちが絶賛する。
 かくして、耳ざわりのいい言葉が、勝手な解釈を加えられて、ひとり歩きするという、いつものパターンがまた繰り返されることになる。
 ワイン用語として使われてきた、テロワールという言葉の原点に、今こそ立ち返る必要があると感じている。
ただ単に地場の食材を使えばいいというものでなく、その地の気候、土地柄を含めた風土というものに、深く馴染んでこその、テロワールではないだろうか。
 たとえば京野菜。これも京都という土地の土壌、気候の賜たま物ものであって、ただ京都で作られた、だけではない。
 あるいは京の和菓子然しかりだ。
 四季がくっきりとしていて、それぞれの季節に歳時があることで、京の和菓子は生まれた。それはテロワールで言えば空気だろう。もしくは環境と言い換えることができる。それらを無視して、ただ単にそこにあるだけのものは、ある意味でテロワールの対極にあるものだと考えてもいい。
 昨今、次々と京都にオープンしたチョコレートショップが典型だ。
 祇園(ぎおん)を筆頭に、洛中のあちこちに店を開くチョコレート屋さんの多くは、海外発も少なくないのだが、いつの間にか京名物のようになってしまい、時には行列ができたりもする。
 はて、京都人はこれほどチョコレート好きだったかと思いきや、抹茶スイーツとおなじく、これに群がるのはほとんどが観光客だ。
 言うまでもなく、京都でカカオが収穫されるわけもなく、盆地気候が特にチョコレート作りに適しているとも思えない。抹茶をアレンジし、町家風の店舗で京都らしさを演出するのとおなじで、イメージ作り以上の意味合いは見いだせないのだ。にもかかわらず、〈京都テロワールのチョコレートが人気!〉などと煽るメディアが後を絶たないのは、なんとも困ったことである。
1952年京都市生まれ。大阪歯科大学卒業後、京都市北区に歯科医院を開業。生粋の京都人であり、かつ食通でもあることから京都案内本を多数執筆。テレビ番組や雑誌の京都特集でも監修を務める。小説『鴨川食堂』(小学館)はNHKでテレビドラマ化され続編も好評刊行中。『グルメぎらい』(光文社新書)、『京都の路地裏』(幻冬舎新書)、『憂食論 歪みきった日本の食を斬る!』(講談社)など著書多数
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