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食語の心 第80 回
作家 柏井壽
食の記号化
前回、食の数値化と題して、昨今の食シーンを書いた。
 数値というものは、情緒が入り込む余地を持たない。
56度で12分加熱する。そんな記述をしばしば見かけるが、それを書いているのは料理人ではなく、食べる側の人間である。プロのライターだけでなく、最近ではアマチュアのブロガーまでが、そんな数値を書いている。
 当然のことながら、それは料理人からの伝言であって、食べる側が推測したものでもなければ、実地に検証したものでもない。
 でありながら、それが絶対的価値を持つかのように絶賛するのは、それがある意味で記号化しているからだろうと思う。
 たとえば食材の産地。典型的なのが〈京野菜〉。京都の料理屋には〈京野菜〉という記号があふれ返っている。記号はまたブランドと言い換えることもできる。
 いずれにせよ、食べる側にとって〈京野菜〉という記号は大きな価値を持っている。
 このパターンの記号は枚挙にいとまがない。〈大間のマグロ〉、〈関アジ〉、〈松阪牛〉。誰もが知る有名どころから、〈閖上の赤貝〉だとか、〈金沢八景の穴子〉なんていうマニアックなものまで。名産地と食材の結びつきは、ある意味で記号なのだ。
 無論それを否定するものではない。大間の港に揚がるマグロは、それは間違いなく美味しい。
 ただ、それを比較検証した人は少ないだろうと思う。国内の名産地でもいいが、たとえばボストンの港に揚がったマグロと比較して、どれほどの差があるのか。自らの舌で検証した人は、さほど多くないはずだ。それでも、ボストンのマグロと言われて大きな反応を示さなくても、〈大間のマグロ〉と言われると、誰もが心を動かされる。つまりこれが記号化ということなのだ。
 多くはメディアのせいである。マグロ漁師のドキュメントや、星付き鮨店などを通じて、〈大間のマグロ〉は美味しいという刷り込みがなされ、その記号を見た人は、何も疑うことなく、それが美味しいと決め込んでしまう。
 数値化とおなじく、食の記号化は思った以上に進んでしまっていて、誰もそれを疑わないというところに、事態の深刻さがある。
 低温調理、熟成、発酵、とメディアは次々と料理の記号をはやし立て、いかにもそれがグルメの最先端だと喧伝(けんでん)する。 ここで気を付けなければいけないのは、記号は使い捨てされるということなのだ。
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