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食語の心 第79 回
作家 柏井壽
食の数値化
いつのころからか、食のさまざまを数値化することが一般的になってきた。
 たとえば果物の糖度を測ることで、それがあたかも品質を左右するかのような風潮。
 糖度計というものが果物の価値を決める。なんともおろかな話であり、そこまで人は自分の味覚というものに自信が持てなくなったのかと、暗澹(あんたん)たる気持ちになる。
 たしかに昔から、甘いは美味しい(おいしい)に通じるものであったのは間違いない。しかしそれがすべてではない。
 たとえばリンゴやナシなどは、その歯ざわりから、酸味や、ある種の苦みなども加わって〈味〉が決まり、それは各人の好みによって価値が分かれるべきものである。
 一例を挙げれば、僕は洋ナシをあまり好まず、二十世紀ナシが一番好きなのである。シャリシャリした食感と、甘すぎない味わいが秋という季節にぴったりだと思っている。
 しかしながら糖度という数値においては、多く洋ナシに軍配が上がり、そこに価値基準を置く人は、洋ナシのほうが上等だと思いこんでしまう。
 もともと糖度というものは、ジャムだとか果実飲料などの糖含有量を示す指標であり、果物そのものの糖度と甘さは、必ずしも正比例しないものだと聞く。
 たとえばレモンなど酸度が高いものは、たとえ糖度が高くても甘く感じないのである。
 人間の味覚は数値で測れるものではない。それを糖度計が証明する、という皮肉なシーンを、過日生放送のテレビ番組で観(み)た。
 とある地方の名産品として、新種のカボチャを紹介するコーナーである。レポーター役のタレントがそれを生でかじって感想を述べる。まるで果物のように甘い。大げさに驚いてみせる。傍らの生産者が自慢げに言うには、このカボチャは糖度が19以上もあるから甘くて当然。
 少し前にスーパーの果物売場で糖度20と表示したメロンが売られていて、それとほぼ同じなのかと興味深くテレビを観ていた。そしてそのコーナーの終了間際になって、糖度計を取りだしたレポーターが、くだんのカボチャの糖度を測った。
 すると、あろうことか糖度計の数値は12ほどだった。あわてたのはレポーターだけではない。生産者も呆然(ぼうぜん)と立ちすくんでいる。生放送ゆえ誤魔化(ごまか)しようがない。野菜なんだから、糖度が12もあれば十分甘いですよね、と取り繕うしかなかったレポーターが気の毒だった。
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