
食語の心 第74 回
作家 柏井壽

花山椒
日本を代表するスパイスと言ってもいいだろう山椒(さんしょう)。
かつては、東京をはじめとする関東辺りでは、鰻うなぎの蒲焼(かばやき)に振りかける粉山椒くらいしか使われなかっただろう。
関西、とりわけ京都では、昔から山椒を多用してきた。
粉山椒で言うなら、きつねうどんや親子丼などにも、必ずと言っていいほど振りかけるので、うどん屋のテーブルには、七味唐辛子とともに、粉山椒が備えられている。
ふだんの料理では、肉じゃがや、きんぴらごぼう、煮魚などにも、京都人は当たり前のようにして粉山椒をぱらぱらと振りかける。
なぜそれほどまでに京都人が山椒を使うかと言えば、ひとつは京都が山国だったからである。
三方を山に囲まれた京都盆地には、少し街を外れれば、山里の空気が漂い、そこかしこに山椒の木が植えられている。
山椒を使った煮物を、鞍馬煮(くらまに)と呼ぶように、洛北(らくほく)鞍馬などは山椒の名産地として、古くからよく知られている。
それは関西一円、同じようなもので、おなじ料理を有馬煮と呼ぶこともある。有馬という土地も鞍馬同様、山椒の産地なのである。
粉山椒がせいぜい、という関東と違い、京都をはじめとする関西では、俗に木の芽と呼ぶ山椒の葉っぱ、花山椒、実山椒と、季節の移ろいに応じて、山椒のバリエーションを愉(たのしむ)のである。
木の芽どきという言葉があるように、新芽が芽吹く早春には、青々とした葉っぱが茂り、それを摘み取って、煮物の上にたっぷりと載せる。
長い冬が終わって、ようやく春が来た、という実感を、京都人は山椒の葉で感じ取るのである。
そして、もう少し季節が進み、春が深まり始めると、山椒の花が咲き、これもまた、棘(とげ)に刺されないよう、注意深く摘み取る。
植物学に詳しくないので、断定は控えるが、花が咲くのは雄株だけだと聞いたような気がする。
花と言っても、ひと目でそれと分かるような花弁を開くことはなく、花序のような、しごく小さなものが枝に付いているだけであるから、うっかりすると見過ごしてしまいそうに、控えめな花である。
この花山椒はしかし、葉っぱとはまた違う味わいがあり、青い香りと、ぷちぷちした食感を同時に愉しめる、山椒好きには、堪たまらない季節の恵みなのである。
かつては、東京をはじめとする関東辺りでは、鰻うなぎの蒲焼(かばやき)に振りかける粉山椒くらいしか使われなかっただろう。
関西、とりわけ京都では、昔から山椒を多用してきた。
粉山椒で言うなら、きつねうどんや親子丼などにも、必ずと言っていいほど振りかけるので、うどん屋のテーブルには、七味唐辛子とともに、粉山椒が備えられている。
ふだんの料理では、肉じゃがや、きんぴらごぼう、煮魚などにも、京都人は当たり前のようにして粉山椒をぱらぱらと振りかける。
なぜそれほどまでに京都人が山椒を使うかと言えば、ひとつは京都が山国だったからである。
三方を山に囲まれた京都盆地には、少し街を外れれば、山里の空気が漂い、そこかしこに山椒の木が植えられている。
山椒を使った煮物を、鞍馬煮(くらまに)と呼ぶように、洛北(らくほく)鞍馬などは山椒の名産地として、古くからよく知られている。
それは関西一円、同じようなもので、おなじ料理を有馬煮と呼ぶこともある。有馬という土地も鞍馬同様、山椒の産地なのである。
粉山椒がせいぜい、という関東と違い、京都をはじめとする関西では、俗に木の芽と呼ぶ山椒の葉っぱ、花山椒、実山椒と、季節の移ろいに応じて、山椒のバリエーションを愉(たのしむ)のである。
木の芽どきという言葉があるように、新芽が芽吹く早春には、青々とした葉っぱが茂り、それを摘み取って、煮物の上にたっぷりと載せる。
長い冬が終わって、ようやく春が来た、という実感を、京都人は山椒の葉で感じ取るのである。
そして、もう少し季節が進み、春が深まり始めると、山椒の花が咲き、これもまた、棘(とげ)に刺されないよう、注意深く摘み取る。
植物学に詳しくないので、断定は控えるが、花が咲くのは雄株だけだと聞いたような気がする。
花と言っても、ひと目でそれと分かるような花弁を開くことはなく、花序のような、しごく小さなものが枝に付いているだけであるから、うっかりすると見過ごしてしまいそうに、控えめな花である。
この花山椒はしかし、葉っぱとはまた違う味わいがあり、青い香りと、ぷちぷちした食感を同時に愉しめる、山椒好きには、堪たまらない季節の恵みなのである。