
食語の心 第65回
作家 柏井壽

近くて遠い店
外へ食事に行こうとしてあまりに近い店は、ついつい遠ざけてしまっている。
どうせたいした店ではないだろう、と思って近所を軽んじてしまうせいでもあるが、近すぎて見えないというか、選択肢に入ってこないのである。いわゆる、灯台下暗しだ。
それが何かをきっかけにして行ってみると、なぜ今まで来なかったのだろうと悔いることがある。
もう60年近く住んでいる我が家から歩いて5分ほどのところに、「T」という小さなとんかつ屋がある。
物心ついたころから、たしかにそこに「T」はあった。豚のイラストが描かれた暖簾(
のれん)は、ずっと昔から掛かっていたように思う。
通い道というほどではないが、幾度となくその店の前を通っていたのだが、入ったことは一度もなかった。
どうにも不思議で仕方がないのは、僕が無類の揚げ物好きだということ。なかでもとんかつは大好物で京都市内はもちろん、大阪や東京に行っても、ついとんかつ屋を探してしまうほどだ。
なのになぜかこの「T」には、入ろうと思ったことは一度もないのである。
それはどこか人と人の縁にも似ているような気がする。身近な存在なのに、縁が薄いせいで接触することのない人が居るのと同じか。
二年前の夏だった。
昼どきになって、ふと「T」のことが頭に浮かんだのである。今もって、なぜそのときに「T」のことを思いだしたのかは分からずにいる。雑誌やテレビで見たとかではまったくないし、人の噂(うわさ)でもない。
「T」の正確な屋号もはっきりしないが、その場所にとんかつ屋があったということだけを思いだしたのである。すぐに例の口コミサイトで検索してみた。
と、どうだろう。店の名前だけは掲載されていて、地図を見るとたしかに記憶通りだ。口コミはもちろん、店のデータは何も書かれておらず、唯一日曜定休日とだけ記されている。幸いにしてその日は日曜日ではなかった。行くしかないではないか。
どうせたいした店ではないだろう、と思って近所を軽んじてしまうせいでもあるが、近すぎて見えないというか、選択肢に入ってこないのである。いわゆる、灯台下暗しだ。
それが何かをきっかけにして行ってみると、なぜ今まで来なかったのだろうと悔いることがある。
もう60年近く住んでいる我が家から歩いて5分ほどのところに、「T」という小さなとんかつ屋がある。
物心ついたころから、たしかにそこに「T」はあった。豚のイラストが描かれた暖簾(
のれん)は、ずっと昔から掛かっていたように思う。
通い道というほどではないが、幾度となくその店の前を通っていたのだが、入ったことは一度もなかった。
どうにも不思議で仕方がないのは、僕が無類の揚げ物好きだということ。なかでもとんかつは大好物で京都市内はもちろん、大阪や東京に行っても、ついとんかつ屋を探してしまうほどだ。
なのになぜかこの「T」には、入ろうと思ったことは一度もないのである。
それはどこか人と人の縁にも似ているような気がする。身近な存在なのに、縁が薄いせいで接触することのない人が居るのと同じか。
二年前の夏だった。
昼どきになって、ふと「T」のことが頭に浮かんだのである。今もって、なぜそのときに「T」のことを思いだしたのかは分からずにいる。雑誌やテレビで見たとかではまったくないし、人の噂(うわさ)でもない。
「T」の正確な屋号もはっきりしないが、その場所にとんかつ屋があったということだけを思いだしたのである。すぐに例の口コミサイトで検索してみた。
と、どうだろう。店の名前だけは掲載されていて、地図を見るとたしかに記憶通りだ。口コミはもちろん、店のデータは何も書かれておらず、唯一日曜定休日とだけ記されている。幸いにしてその日は日曜日ではなかった。行くしかないではないか。