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しかしながらこのムックの表紙に記された「口コミ」の文字には、造語者として、大いに立腹されるだろう。なぜならそれが誤用を超えて、悪用されているからである。
 大宅氏が「口コミ」という言葉を造った裏には、「マスコミ」という表層を信用できない、という側面があったはずで、つまりは「口コミ」とは利害関係が及ばない、市井の民の声を表す言葉だったと思う。
 「マスコミ」は信用できないが、「コミ」は信用できるといった空気が、いつの間にか出来上がっている。
 このムックが「口コミ」という言葉を前面に打ち出した、最大の理由はそこにある。
 媒体としては大手出版社が編集した「マスコミ」だが、中身は「口コミ」だから信用していいですよ。
 そう言いたかったのだろうが、残念ながらこのムックは、本来の「口コミ」とは似て非なるものである。
 タイトルにある139軒の店は、すべて京都在住の有名人が推薦したもので、匿名ではなく、それぞれが実名で推薦理由を語っている。おそらくはそれを「口コミ」としたかったのだろうが、それはもう「マスコミ」以外の何ものでもない。
 たとえばテレビ番組で、著名なタレントが行きつけの店として、レストランを推薦したりするが、それを「口コミ」として紹介したりはしないだろう。賢明な視聴者は、タレントと店の間に何かしら、特別な関係があるのでは? と疑いの目も持って見ている。きっと有名人だから特別待遇を受けているに違いない、と。
 「マスコミ」の世界にいる人の言は「口コミ」ではない。と同じく、京都という街において、名の知れた京都人の言は「口コミ」ではない。
 京都というのは極めて狭い街である。その中で生きてゆくには、さまざまな人間関係、しがらみといったものと無縁でいられるわけがない。なれ合いと言えば、言葉が過ぎるかもしれないが、そういう関係なくして、円満に京都で暮らすのは難しいのだ。
 僕が何を言いたいか、がお分かりいただけるだろうか。誰かが推薦した店を掲載することに、何ひとつ問題はない。テレビ番組でタレントが推薦する店を採り上げることと同じく、だ。だがそれを「口コミ」とするのは一種の羊頭狗肉(くにく)である。
 この「口コミ」については、次回もう少し掘り下げてみる。
かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。
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