
京都の五花街(ごかがい)の一つ、最も古い歴史を持つ上七軒(かみしちけん)。現在もお茶屋が9軒ある。その歴史は、1444(文安元)年ごろ北野天満宮の社殿が一部焼失した際に、第10代将軍足利義稙(よしたね)の命で社殿を造営した際の残材を使って、東門前の松原に「七軒」の茶店を建てたことに始まる。その後、この茶店を「七軒茶屋」と呼ぶようになったのが「上七軒」の由来だという。また西陣との結びつきで花街としての繁栄を極める。
京都はあまり爆撃を受けなかった。だからこそ、歴史ある街並みが残された。だが、その後に建てられた建築からは、古いものに調和しようという思いは感じられなかった。
「京都に限ったことではないですが、日本人は自己主張ができないとか、自我が弱いとか、和をもって貴しとなす、といわれますけど、それが信じられないんです。京都でも、東京や大阪でも、個々の建物を見るとエゴイスティックで、場の空気に合わせようなんて志はありませんよね。この点では、間違いなくヨーロッパのほうが全体の和を重んじている。近代的自我を封じています」
フィレンツェ市民も、自らの街に高いプライドを持っている。ローマに対する敵対心は強く、京都と東京の関係にも近いが、フィレンツェの人々は、街を守るために並々でない努力を重ねている。
「古い建物を壊したほうが経済的な発展にはいいんです。でも、フィレンツェはそういう近代化論に流されず、ルネサンスの街にこだわった。ところが、京都では20世紀半ば以降、古い家屋が次々と雑居ビルや駐車場、そしてマンションに代わりました。昔の面影をとどめた建物に対して、税制による保護などの配慮があれば違ったかもしれませんが、永田町でそういう議論がなされるとは思えない。日本人はそういう民族ではないんですね」
「京都に限ったことではないですが、日本人は自己主張ができないとか、自我が弱いとか、和をもって貴しとなす、といわれますけど、それが信じられないんです。京都でも、東京や大阪でも、個々の建物を見るとエゴイスティックで、場の空気に合わせようなんて志はありませんよね。この点では、間違いなくヨーロッパのほうが全体の和を重んじている。近代的自我を封じています」
フィレンツェ市民も、自らの街に高いプライドを持っている。ローマに対する敵対心は強く、京都と東京の関係にも近いが、フィレンツェの人々は、街を守るために並々でない努力を重ねている。
「古い建物を壊したほうが経済的な発展にはいいんです。でも、フィレンツェはそういう近代化論に流されず、ルネサンスの街にこだわった。ところが、京都では20世紀半ば以降、古い家屋が次々と雑居ビルや駐車場、そしてマンションに代わりました。昔の面影をとどめた建物に対して、税制による保護などの配慮があれば違ったかもしれませんが、永田町でそういう議論がなされるとは思えない。日本人はそういう民族ではないんですね」