
作家・編集者 森まゆみ(もり・まゆみ)
1954年東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、東京大学新聞研究所修了。出版社勤務の後、1984年に友人らと東京で地域雑誌「谷中・根津・千駄木」を創刊。2009年の終刊まで編集人を務める。主な著書に『鴎外の坂』(中公文庫)、『「青鞜」の冒険』(平凡社)、『千駄木の漱石』(ちくま庫)、『帝都の事件を歩く』(中島岳志との共著、亜紀書房)などがある。
1954年東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、東京大学新聞研究所修了。出版社勤務の後、1984年に友人らと東京で地域雑誌「谷中・根津・千駄木」を創刊。2009年の終刊まで編集人を務める。主な著書に『鴎外の坂』(中公文庫)、『「青鞜」の冒険』(平凡社)、『千駄木の漱石』(ちくま庫)、『帝都の事件を歩く』(中島岳志との共著、亜紀書房)などがある。
「東京は空襲で焼けちゃったから。でも、京都には戦前の昭和があります。文化庁で8年間、重要文化財や登録文化財の仕事に携わっていたのですが、気になったものって、すごく京都に多いんです。疎水沿いにちょっと歩くと武田五一(ごいち)の設計した京都大学人文研究所とか、時計台という本部の建物。大山崎の『聴竹居』もすばらしいけど、同じ藤井厚二(こうじ)設計の家が、北白川の家の近所で何気なく売りに出されていたりするんですよ。誰か買ってくれないかな、と思ったりね(笑)。木屋町にフランソアという喫茶店がありますが、ここは反ファシズム・モダニズムの雑誌『土曜日』の拠点だった。淀川長治さんなども寄稿している。喫茶店からメディアは広まっていったんです。進々堂の内装もまさに昭和。ここで本を読むのが幸せな時間です」
東京の谷根千も懐かしい風情が残る町として知られるが、「東京と比べると京都の昭和は、老舗や知識人の邸宅とか、もっと知的でハイカラな、どっしりした昭和」と言う。
「京大周辺は全国から来た学生が多いから、排他的でない、自由な雰囲気があるんです。吉田山の緑もあるしね。中心の、祇園祭の氏子圏とかには観光客も多いし、近づかないですよ。私は昔の女性誌がほめあげたような、京都・金沢の老舗のおせちとか家元制度とかは大嫌い。特権的で男尊女卑で、うそばかりの世界な気がして。もちろん、今どきのいい加減な店よりは、応対などもしっかりして、老舗には老舗の良さがあるんですけどね。寺社でも、今も拝観料を取らないような小さな寺が好きですね。1000円とって『撮影禁止』『手を触れるな』的上から目線は嫌なんです」
ただし老舗や寺社など、既存勢力が強いからこそ、その反発として、社会運動が京都で盛んになったのではないか、と森さんは指摘する。
「東京は変化のスピードが速いから、あっという間に、前のことは見えなくなります。そういうところでは、浮動層ばかりでアンチも出にくいですよね。その点、京都は狭いから、あちこちで同じ人に出会うし、反発でアンチの集団も生まれて、それをいつまでも覚えている。私はまだ行ったことはないですが、元京都府学連委員長がやっていたバーが、今でも残っていて土曜日に仲間が集まっているらしい。音楽でもそう。先日、関西フォークのはしり、中川五郎さんのライブがあって行ったんですけど、相変わらず格好よくてね。『受験生ブルース』とか『腰まで泥まみれ』とか。ばんばひろふみさんが飛び入りで『いちご白書をもう一度』を歌ってくれて、大満足でした。戦後の京都って、そういうフォークゲリラがいて、ジュリーがボーカルのタイガースも発祥地だし、ヒッピーもたくさんいました。
学生運動していて今は大学教員という人もいれば、環境活動家になった人もいる。元ヒッピーが大工や鍼灸師になるとか、まじめに地域で役割を果たしている。そういう人の伝説、男女のドラマを、最近京都で友だちになった人たちから聞いています。北白川周辺にも、元ヒッピーだったという人がけっこういる。
京都全体を見ても、老舗のご主人や寺社の住職が案外、共産党や社会党支持者だったりして、原発避難のママたちも頑張っているし、東京より意識が高いように感じますね」
東京の谷根千も懐かしい風情が残る町として知られるが、「東京と比べると京都の昭和は、老舗や知識人の邸宅とか、もっと知的でハイカラな、どっしりした昭和」と言う。
「京大周辺は全国から来た学生が多いから、排他的でない、自由な雰囲気があるんです。吉田山の緑もあるしね。中心の、祇園祭の氏子圏とかには観光客も多いし、近づかないですよ。私は昔の女性誌がほめあげたような、京都・金沢の老舗のおせちとか家元制度とかは大嫌い。特権的で男尊女卑で、うそばかりの世界な気がして。もちろん、今どきのいい加減な店よりは、応対などもしっかりして、老舗には老舗の良さがあるんですけどね。寺社でも、今も拝観料を取らないような小さな寺が好きですね。1000円とって『撮影禁止』『手を触れるな』的上から目線は嫌なんです」
ただし老舗や寺社など、既存勢力が強いからこそ、その反発として、社会運動が京都で盛んになったのではないか、と森さんは指摘する。
「東京は変化のスピードが速いから、あっという間に、前のことは見えなくなります。そういうところでは、浮動層ばかりでアンチも出にくいですよね。その点、京都は狭いから、あちこちで同じ人に出会うし、反発でアンチの集団も生まれて、それをいつまでも覚えている。私はまだ行ったことはないですが、元京都府学連委員長がやっていたバーが、今でも残っていて土曜日に仲間が集まっているらしい。音楽でもそう。先日、関西フォークのはしり、中川五郎さんのライブがあって行ったんですけど、相変わらず格好よくてね。『受験生ブルース』とか『腰まで泥まみれ』とか。ばんばひろふみさんが飛び入りで『いちご白書をもう一度』を歌ってくれて、大満足でした。戦後の京都って、そういうフォークゲリラがいて、ジュリーがボーカルのタイガースも発祥地だし、ヒッピーもたくさんいました。
学生運動していて今は大学教員という人もいれば、環境活動家になった人もいる。元ヒッピーが大工や鍼灸師になるとか、まじめに地域で役割を果たしている。そういう人の伝説、男女のドラマを、最近京都で友だちになった人たちから聞いています。北白川周辺にも、元ヒッピーだったという人がけっこういる。
京都全体を見ても、老舗のご主人や寺社の住職が案外、共産党や社会党支持者だったりして、原発避難のママたちも頑張っているし、東京より意識が高いように感じますね」