

時代を読む――原田武夫 第102回
原田武夫
権力と権威の相克
岸田文雄政権が我が国において成立してからやや日が経った。それによって何が変わったのか? と問われるとなかなか答え難い日々が続いている。無論、「新自由主義からの転換」といったお題目は次々に並べ立てられている。しかしそもそも我が国の戦後政治において澱おりのように積み重なってきたものが解消し始めたのかというと全くそうではないのである。むしろある意味、「ブルータスよ、お前もか」という事態が続いているのであって、もはや「誰も期待しなくなった」というのが実態だろうか。
外務省を自らの意思で辞めた直後、保守系評論家として知られるとある御仁と対談したことがある。その際、こんなことを言われたのを今でもよく覚えている。「我が国がいつから変わり始めたのかといえば、『保守系政治家』として知られた中曽根康弘氏が総理大臣になってからだと思う。あそこから何かが変わり始めた」
御仁とはその後、疎遠になってしまったがこの分析の鋭さだけは胸に響いている。あれから15年以上の月日が経ち、筆者なりに研究を重ねてきたが、確かにそうなのである。そしてこの分析を下支えするある決定的なファクト(事実)も見いだすことができた。
要するにこういうことである。―中曽根康弘総理大臣は、時の天皇であった昭和天皇の傘下にあって政治を行うというスタイルをとらなかった。無論、表面的には定例の儀式はこなした。しかし決定的なのはあたかも彼自身が我が国の中心であるかのようなスタイルの政治に固執した点であり、その意味でそれは「保守」、すなわち“我が国において固有なものを守り抜く"という態度ではなかったのである。むしろそこで見られたのは古代から中世にかけての時期において「武士」が忽然と登場し、剥き出しの物理的な強制力をもって朝廷における「政(まつりごと)」にすら侵食し始めた時の様子に酷似していたのである。
外務省を自らの意思で辞めた直後、保守系評論家として知られるとある御仁と対談したことがある。その際、こんなことを言われたのを今でもよく覚えている。「我が国がいつから変わり始めたのかといえば、『保守系政治家』として知られた中曽根康弘氏が総理大臣になってからだと思う。あそこから何かが変わり始めた」
御仁とはその後、疎遠になってしまったがこの分析の鋭さだけは胸に響いている。あれから15年以上の月日が経ち、筆者なりに研究を重ねてきたが、確かにそうなのである。そしてこの分析を下支えするある決定的なファクト(事実)も見いだすことができた。
要するにこういうことである。―中曽根康弘総理大臣は、時の天皇であった昭和天皇の傘下にあって政治を行うというスタイルをとらなかった。無論、表面的には定例の儀式はこなした。しかし決定的なのはあたかも彼自身が我が国の中心であるかのようなスタイルの政治に固執した点であり、その意味でそれは「保守」、すなわち“我が国において固有なものを守り抜く"という態度ではなかったのである。むしろそこで見られたのは古代から中世にかけての時期において「武士」が忽然と登場し、剥き出しの物理的な強制力をもって朝廷における「政(まつりごと)」にすら侵食し始めた時の様子に酷似していたのである。