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特級、一級、二級の酒
各メーカーがナレーションで酒銘をPRするのが主流だったのを、CMソングに酒銘を入れるようになったのは、60年代後半から70年代にかけてのこと。60年代といえば、まだ「特級」「一級」「二級」という日本酒の級別制度(1949年~1992年)が施行されており、サラリーマンの普段の晩酌は「二級」の登場回数が多く、ボーナスや誕生日など、特別な日は「特級」といった感じが多かったのではないだろうか。幼い頃、酒好きの叔父が「今日はボーナスだから特級酒が飲める」とうれしそうに話していたのを、今でもよく覚えている。酒の選択肢が少なかったこともあってか、1973(昭和48)年には日本酒の生産量はピーク迎え、その量は実に142万1000キロリットル。平成25年度の生産量44万6435キロリットルと比べると、実に3倍以上の日本酒が造られていたことになる。
 高度経済成長期が後半に入るこの頃は、戦後途絶えていた吟醸酒造りが各地域で徐々に復活し始めていたが、一般的に好まれていたのは醸造アルコールが添加された酒。いわゆる“淡麗辛口"と呼ばれるタイプである。60年代から70年代前半にかけては、今ほど食の多様化が進んでおらず、煮物や焼き魚といった「ザ・和食」の料理が食卓を飾っていた。食材の持ち味を生かした和食には米感にあふれた濃厚な純米酒よりも、軽くて、きりっとしまった辛口の酒のほうが合う。今もなお、年配の男性の多くが辛口党なのは、この頃に培われた味覚が影響しているように思う。
 時代が変わり、1989年になると国税庁の「清酒の製法品質表示基準を定める件によって、翌年から日本酒を原材料と、精米歩合によって八つに分類する「特定名酒制度」が導入。92年には、それまでの級別制度が完全に廃止され、好まれる酒質変化してゆく。特定名称酒制度を導入したことで、大きく変わったのは大吟醸や吟酒といった高級酒が注目されるようになったことである。まだバブルの名残りがあた94年には一大「吟醸酒ブーム」が起こり、酒米を極限まで磨いた華やかで、フルティーな味わいの日本酒がもてはやされるようになった。同時に原点回帰ともいえ江戸時代に考案された生もと造りが見直されたり、各県による酵母の開発、女性をーゲットにした発泡性の低アルコール酒の販売など、現在の日本酒ブームの基盤が作られた。
 「日本酒は年配の男性の飲み物」というイメージが「おしゃれな飲み物と一新され、CMも「本格派」をキャッチーに掲げるものが増え始めたのもこの頃だ。値頃な酒と、「幻の酒」と呼ばれる希少価値の高い高級酒。「日本酒の二極化」はここから始まったといっても過言ではないだろう。その後、バブル経済の終しゅう焉えんとともに、吟醸酒ブームも静かに幕を閉じ、本格焼酎ブームの到来により、日本酒はしばらく暗黒時代を過ごすことを余儀なくされた。そして、蔵の数が淘汰され、個性が重視されるようになった今、日本酒はまさに「黄金期」という最高のシーズンを迎えている。
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