花見のころ。桜の下でバーベキューを愉(たの)しむ人たちが居る。本人たちは愉しいだろうが、近所に住む人たち、あるいは純粋に花見をする人々には迷惑でしかない。一年に一度のことだから、と大目に見ているのが現状だろうと思う。
だがしかし、京都では毎週のように、しかも市内の中心地で行われているのだ。それもお役所が後押しして、地元のリージョナル・マガジンが主催する。
京都人は、子どもの頃から立ち食いを強く戒められてきた。祭りの屋台で買った焼きそばですら、家に持ち帰って、食卓で食べるように教えられた。
それを考えると隔世の感がある。
では何故、立ち食いをそれほど忌み嫌ってきたのか。
言うまでもなく、食は人として欠かすことのできない営みであり、性や眠りと同じく、本能的欲求に基づくものである。なればこそ、妄(みだ)りであってはならないのだ。
人前で居眠りするのは、みっともないことだし、ましてや性となれば秘めたるものでなければならない。
食も然(しか)り。欲求の赴くままの姿をさらすのは醜悪以外の何ものでもない。だから飲食店で行列を作るのは慎むべきなのである。
屋台で買って、その場で貪(むさぼ)り食うのではなく、きちんと食卓に着いて食べる。それは食に対する敬意であり、感謝の気持ちを表すこと。
朝昼晩。家であっても店で食べるにしても、節度を守ることが肝要。本来、人が食べるべき場所ではない広場で、異臭を漂わせて立ち食いするなどもっての外だと僕は思うのだが。
そもそも巷(ちまた)に、食が溢(あふ)れすぎているのではないか。
衣食足りて礼節を知る。はずだったのが、食が過ぎたことで、礼節をわきまえなくなってしまった。それは祭りの後を見れば一目瞭然。
フェスなるものが終わった後。割り箸や使い捨ての紙皿や、トレーがあちこちに散乱している。ゴミ箱から溢れでている。地面には食べかすや残滓(ざんし)が散らばり、カラスが狙いを定めている。
主催者側のスタッフがそれを掃除するが、においまでは拭い去れない。きっと翌朝まで残るだろう。
食フェスブームなのだろう。市役所前広場だけではない。神社や寺でも、競い合うようにマルシェだとかフェスが行われている。あろうことか、世界遺産に指定されている神社でも同様のイベントが行われ、案の定残飯臭が境内に漂っていた。
食い散らかす。そんな言葉がすぐ頭に浮かぶのが、昨今の食事情である。
僕が直接見聞きしたわけではないが、先の戦争が終わった後、食の配給を受けるための、長い列があちこちにできたそうだ。その様子を写した映像を観(み)ると、食フェスの人気店に並ぶ人々とよく似ている。前を覗(のぞ)き込み、早く自分の番にならないかと心待ちにする顔。
だが根本的に異なるのは、前者は餓(う)えに苦しみ、それから逃れるために列を作っているのであり、後者は飽食の上に更に飽食を重ねようとしているのである。どちらが人間として正しい姿か。言わずもがなだろう。
だがしかし、京都では毎週のように、しかも市内の中心地で行われているのだ。それもお役所が後押しして、地元のリージョナル・マガジンが主催する。
京都人は、子どもの頃から立ち食いを強く戒められてきた。祭りの屋台で買った焼きそばですら、家に持ち帰って、食卓で食べるように教えられた。
それを考えると隔世の感がある。
では何故、立ち食いをそれほど忌み嫌ってきたのか。
言うまでもなく、食は人として欠かすことのできない営みであり、性や眠りと同じく、本能的欲求に基づくものである。なればこそ、妄(みだ)りであってはならないのだ。
人前で居眠りするのは、みっともないことだし、ましてや性となれば秘めたるものでなければならない。
食も然(しか)り。欲求の赴くままの姿をさらすのは醜悪以外の何ものでもない。だから飲食店で行列を作るのは慎むべきなのである。
屋台で買って、その場で貪(むさぼ)り食うのではなく、きちんと食卓に着いて食べる。それは食に対する敬意であり、感謝の気持ちを表すこと。
朝昼晩。家であっても店で食べるにしても、節度を守ることが肝要。本来、人が食べるべき場所ではない広場で、異臭を漂わせて立ち食いするなどもっての外だと僕は思うのだが。
そもそも巷(ちまた)に、食が溢(あふ)れすぎているのではないか。
衣食足りて礼節を知る。はずだったのが、食が過ぎたことで、礼節をわきまえなくなってしまった。それは祭りの後を見れば一目瞭然。
フェスなるものが終わった後。割り箸や使い捨ての紙皿や、トレーがあちこちに散乱している。ゴミ箱から溢れでている。地面には食べかすや残滓(ざんし)が散らばり、カラスが狙いを定めている。
主催者側のスタッフがそれを掃除するが、においまでは拭い去れない。きっと翌朝まで残るだろう。
食フェスブームなのだろう。市役所前広場だけではない。神社や寺でも、競い合うようにマルシェだとかフェスが行われている。あろうことか、世界遺産に指定されている神社でも同様のイベントが行われ、案の定残飯臭が境内に漂っていた。
食い散らかす。そんな言葉がすぐ頭に浮かぶのが、昨今の食事情である。
僕が直接見聞きしたわけではないが、先の戦争が終わった後、食の配給を受けるための、長い列があちこちにできたそうだ。その様子を写した映像を観(み)ると、食フェスの人気店に並ぶ人々とよく似ている。前を覗(のぞ)き込み、早く自分の番にならないかと心待ちにする顔。
だが根本的に異なるのは、前者は餓(う)えに苦しみ、それから逃れるために列を作っているのであり、後者は飽食の上に更に飽食を重ねようとしているのである。どちらが人間として正しい姿か。言わずもがなだろう。

かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。