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鴨叩き松茸巻き
神田裕行 真味只是淡
第十四回
Photo Masahiro Goda
古典に学ぶ。
 私はいわゆる料理人専門誌には一切出ない、もしくはお呼びがかからない。その出ない理由は10年前に、ある料理専門誌の編集者と意見の相違があり、口論となって以来、変わっていない。
 私の言い分は「なぜ料理人が料理人に自身の料理を披露するのに、塩小さじ1とか、みりん大さじ2とかの表記が必要なのか? 料理人が知りたい、あるいは知るべきなのは、その料理人がいかに考えその料理を生み出したのかという過程、つまり素材をどう解釈したからこの調理にたどりついたのか、ではないのか?」
である。
 北大路魯山人語録によると、陶芸の世界において古典の模倣ではないものはまれで、ほとんどが中国の古典から学び、映したものである。ただ、古典のどこをどう学び、どう映すかがその人間の力量であり、大切なところだ、とある。
「映す」は「写す」ではない。
 写すではただのコピーに過ぎず、ただうわべを真ま似ねただけでなんの意味もない。
 映すとはつまり、オリジナルを生んだ背景にある思想、知識、技術、またそれを手に入れるために努力した作者の苦悩まで看破し、そこに自分の感性を反映させようとする試みであると思う。
 魯山人に限らず優れた陶芸家の語録には学ぶところが多いが、加藤唐九郎の言葉が、若い自分には耳が痛かった。
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