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鮪の湯引き 長芋千六本にポン酢
神田裕行 真味只是淡
第十一回
Photo Masahiro Goda 文・神田裕行
「美味しい」の概念は一つではない。いくつかあるのだ。
 例えば、舌で美味しいと感じる料理と、心で美味しいと感じる料理がある。
 おいしいという言葉に美という漢字を当てはめるならば、真に美味しいものとは、心で美味しいと感じる料理のことではないかと思う。
 舌の快楽を主とする旨味は、むしろ「旨い」と呼ぶべきではないのだろうか?
 真に美しいものは自然であり、美しい自然はいつ誰が見ても美しい。美しいものは普遍である。
 では、真に美味しいものは普遍であるのか?
 美味しい料理は誰がいつ食べても美味しいのか?
 以前お椀の連載の中で、日本料理の椀物の味わいを理解してくださる外国人は少ないと嘆いたが、要するに彼らは旨いは理解できても、日本人の美味しいは理解できないのだろうと結論づけたわけだが、あれから数年経った今、椀物に対する外国人客の理解度は飛躍的に高くなっている。これはつまり、彼らの経験値による変化であると確信する。そういえば、私自身も椀物の味わいを理解するのに、生まれてから何十年もかかったわけだから、人のことは言えた義理ではないと猛省した。
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