駅弁などの枌でできた、長方形の弁当箱で、綴じ目を手前にしているものをしばしば見掛けるが、これは明らかな間違いである。
些末(さまつ)なことのように思われるかもしれないが、こういう仕来りを守ってきたからこそ、和食は世界に誇れる文化として認められたのである。
相手に対して、絶えず〈陽〉を向ける。これこそが、おもてなしの基本なのだ。
同じようなことに、ご飯は左、という決まりがある。一汁三菜は無論のこと、たとえばトンカツ定食であったとしても、ご飯茶わんは必ず左手前に置かねばならない。いくら左利きだからといって、逆にしていいというものではない。
今どきのグルメブロガーさんなどは無関心なようで、平気でご飯茶わんを右奥に追いやった写真をブログに載せたりしている。知人なら注意することもあるが、応えて曰く(いわく)、写真では、左手前が一番目立つので、メーンのおかずをそこに置くのだ、と。何をかいわんや。こんな人たちにとって、丸前角向など、きっとどうでもいいことなのだろう。今のグルメブームがいかに浅薄なものかを示す典型例だ。
ところで、なぜご飯が左に来なければいけないかと言えば、日本には〈左上右下(さじょううげ)〉という考え方があるからである。
すべての場合において、左に上位のものがくるということ。瑞穂(みずほ)の国である日本においては、米が最上位なので、必ずご飯は左に置かねばならない。
これは何も食卓だけに限ったことではなく、日々の暮らしの中でも同じこと。
和服の着方〈右前〉はその代表的な例だ。どんな和服であっても、左の襟を右の襟の上にして着る。つまり左の襟が右の襟よりも前と決められている。
あるいは、ふすまや障子のはめ方も同様。左側を前にするのが鉄則。それが日本文化というもので、決まりがあって初めて伝統という形で継承されていく。
話を食と器に戻す。尾頭付きの鯛(たい)があったとする。塩焼きだとしよう。これを皿に盛ろうとして、頭をどちらに向けるだろうか。
きっと大方は頭を左に向けて皿に盛るに違いない。よほどのへそ曲がりでない限りは、必ずそうするはず。それが自然な形だからだ。そしてこれもまた、〈左上右下〉にかなっているのだ。自然な姿がいつしか決まりとなり、仕来りとされてきた。これをして文化という。
些末(さまつ)なことのように思われるかもしれないが、こういう仕来りを守ってきたからこそ、和食は世界に誇れる文化として認められたのである。
相手に対して、絶えず〈陽〉を向ける。これこそが、おもてなしの基本なのだ。
同じようなことに、ご飯は左、という決まりがある。一汁三菜は無論のこと、たとえばトンカツ定食であったとしても、ご飯茶わんは必ず左手前に置かねばならない。いくら左利きだからといって、逆にしていいというものではない。
今どきのグルメブロガーさんなどは無関心なようで、平気でご飯茶わんを右奥に追いやった写真をブログに載せたりしている。知人なら注意することもあるが、応えて曰く(いわく)、写真では、左手前が一番目立つので、メーンのおかずをそこに置くのだ、と。何をかいわんや。こんな人たちにとって、丸前角向など、きっとどうでもいいことなのだろう。今のグルメブームがいかに浅薄なものかを示す典型例だ。
ところで、なぜご飯が左に来なければいけないかと言えば、日本には〈左上右下(さじょううげ)〉という考え方があるからである。
すべての場合において、左に上位のものがくるということ。瑞穂(みずほ)の国である日本においては、米が最上位なので、必ずご飯は左に置かねばならない。
これは何も食卓だけに限ったことではなく、日々の暮らしの中でも同じこと。
和服の着方〈右前〉はその代表的な例だ。どんな和服であっても、左の襟を右の襟の上にして着る。つまり左の襟が右の襟よりも前と決められている。
あるいは、ふすまや障子のはめ方も同様。左側を前にするのが鉄則。それが日本文化というもので、決まりがあって初めて伝統という形で継承されていく。
話を食と器に戻す。尾頭付きの鯛(たい)があったとする。塩焼きだとしよう。これを皿に盛ろうとして、頭をどちらに向けるだろうか。
きっと大方は頭を左に向けて皿に盛るに違いない。よほどのへそ曲がりでない限りは、必ずそうするはず。それが自然な形だからだ。そしてこれもまた、〈左上右下〉にかなっているのだ。自然な姿がいつしか決まりとなり、仕来りとされてきた。これをして文化という。

かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。