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鳥取城跡に立つ仁風閣(じんぷうかく)。重要文化財。この洋館は、1907(明治40)年、当時の皇太子嘉仁(よしひと)親王(後の大正天皇)の鳥取行啓に際
し、宿舎として建てられた別荘である。施主は徳川慶喜(よしのぶ)の五男で、池田家の養子となった池田仲博(なかひろ)侯爵。設計は、赤坂離宮などを手が
けて「宮廷建築家」と称された、当代一流の建築家、片山東熊(かたやまとうくま)だ。
小さなコミュニティーだからこそ密な関係性が持てるし、活動の小回りが利く、ということだろう。
 また人口減少は、「ポジティブに捉えるのが難しい問題だが、指をくわえて見ているわけにはいかない」。かねて積極的に移住政策を進めていて、昨年は20~30代を中心に移住者が2000人を超えたという。
「皮膚感覚で、東日本大震災を境に、若い層を中心に価値観が変わってきたように感じています。子育ての環境がいいことをアピールしたのが移住者の増加につながったのかもしれません。あと国の政策に先駆けて、保育料の負担軽減を進めました。最初に取り組んだ若桜(わかさ)町では、子供が少ないので、完全無償化しても県と町が折半して計900万円で実現。大都市にはできませんよね」
 そういった施策が功を奏して、人口減少に若干ブレーキがかかり、出生率も1・43(平成20年)から1・61(平成30年)に上がったそうだ。次なる課題は「若い男女の婚姻率を上げる」こと。隣の島根県と連携して婚活イベントを支援するなど、地道な取り組みを続ける。「県外女性を対象にした婚活イベントでのカップリング率が7~8割になったこともあるんですよ」と相好を崩す知事の目には、「大都市にはない鳥取の魅力に気づいた若い人たちが移住し、生きがいを感じて暮らす鳥取の近未来」が見えている。
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