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二種類の肉塊を僕に見せて、説明してくれた。当時は注文を聞いてから、スライスするのが当たり前だったようだ。
 果たしてそれを買って帰って、すき焼きにすると驚くほど美味しかった。父は僕を褒めてくれた。
「ええ肉を選んだやないか。肉は腐りかけが一番旨いんや」
 無論それは極論だったのだが、一定の時間を経過することで、牛肉は旨くなるということを、子供のときに学んだ。
 半生記も前から、いや、もっと以前からの常識だったに違いない。熟成というプロセスを経て牛肉は旨みを増す。それを、さも自分が見つけたように自慢する料理人。何ほどの疑問を挟むことなく、それを賞賛するメディア。
 長く続く、いびつなグルメブームは、かかる場面で顕著に表れる。
 似たような話はBS番組でもあった。行列のできるパン屋のレポート。パン生地を寝かせる段の話になって、レポーターがパン職人に問う。
「このときはどんなことを考えておられますか?」
「美味しくなってくれと願っています」
「さすがシェフ。本当に愛情を込めてパン作りをなさっているんですね。ちょっとウルッと来てしまいました」
 よくもまぁ、公共の電波を使って、こんなくだらないやり取りができるものだと、妙に感心してしまった。
 いつからパン職人を、シェフと呼ぶようになったのかは知らないが、食を作る人間を絶賛する傾向は年々顕著になる一方だ。
 人間誰しも褒められればうれしいし、一介のパン職人でいるより、シェフとあがめ奉られて悪い気はしない。一度や二度なら、さほどのことはないが、これを繰り返すうち、職人は増長し、謙虚さを失ってしまう。人間というのは悲しい生き物なのである。
 では、このあしき傾向を断ち切るには、どうすればいいか。答えは簡単である。メディア側が、きちんと勉強したうえで、取材に臨めばいいだけのこと。
 ステーキハウスを取材するなら、素材となる牛肉について、あらかじめ調べておくのは当然のことである。あるいはパン屋をレポートするなら、どんな製造過程を経るのか、原材料は何を、どんな風に使うのか。最低限の知識を持って取材に臨めば、店側の主張をうのみにすることなく、さらに突っ込んだ問いかけができるだろうし、賞賛すべき点と、そうでないことが区別できるはず。
 予習もせずに、いきなり店を取材するから、店の広報係と化してしまう。取材にこそ熟成期間が必要なのである。
かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。
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