


(上)美しい堆錦(ついきん)が施された漆塗りの器「東道盆(とぅんだーぶん)」に盛られた料理。中央は飾り切りした花イカ、上が「ぽうぽう」、左は肉(しし)かまぼこ。見た目にも美しい華やかな料理だ。●琉球料理 「美榮」 TEL098-867-1356(要予約)(左下)琉球王国の中心地となった首里城。中央は儀式が行われた御庭、左の北殿は中国からの冊封使を舞踊や宮廷料理でもてなした場所。(右下)上は行事料理に欠かせない「らふてぇ」、下右が「なかみのお吸いもの」、左が「みぬだる」、島大根の黒糖漬、田いもの空揚げ。泡盛にも合う。

うとぅいむち
伝統の風、新しい風
伝統の風、新しい風
Photo TONY TANIUCHI Text Rie Nakajima
伝統と革新。相反す言葉だが、それは共存するのが常である。沖縄では今、琉球王国時代の伝統を受け継ぐ食や芸能を体験できたり、やんばるの自然を舞台に新しいスタイルの“遊び”や野外料理を楽しめたりできる。クラシカルにモダンに、今までとは違う“沖縄を知る旅”へ。
尚巴志(しょうはし)が1429年に沖縄本島を統一してから明治政府によって沖縄県が設置される1879(明治12)年まで、約450年間続いた琉球王国は、中国や日本、東南アジア各国との中継貿易の地として栄えた。琉球王国の政治、外交、文化の中心地として威容を誇ったのが首里城だ。中国皇帝の使者である冊封使や薩摩藩の役人などをもてなし(=うとぅいむち)、華やかで洗練された宮廷文化が発展した。舞踊や音楽を公務とした「踊奉行」や、宮廷の食事をあずかる「庖ほー丁ちゅー」、美術工芸の技術者などが首里や那覇などの都市部に住み、首里城を中心に活躍していた。つまり首里は、首里城とともに文化芸術の中心地だったのだ。
那覇市の「美榮(みえ)」では、伝統の琉球料理を味わうことができる。創業者は首里の生まれで、首里士族の伝承料理を食べて育った古波藏登美(こはぐらとみ)さん。赤瓦を白漆喰で塗り込んだ屋根に、沖縄独自の低く構えた木造建築。この伝統的な空間で、登美さんが蒐集した琉球漆器や壺屋焼、民具などの工芸品に触れながら、琉球王国時代の香りがする特別な琉球料理を堪能できるのも魅力だ。料理は、肉味噌を小麦粉の皮で巻いた「ぽうぽう」。豚の胃と腸を使った「なかみの吸いもの」は、内臓の臭みを消すために何度も水洗いをし、短冊に刻み、さらに鰹節と肉出汁をしみこませる。手間と暇を惜しまず、丁寧に仕込みをするのが琉球料理の神髄だ。「琉球では諸外国の影響で個性的な食文化が生まれました。その琉球文化を途絶えさせてはいけないという創業者の思いを、料理や空間から感じてもらえたら」と女将の古波藏德子(こはぐらのりこ)さん。
那覇市の「美榮(みえ)」では、伝統の琉球料理を味わうことができる。創業者は首里の生まれで、首里士族の伝承料理を食べて育った古波藏登美(こはぐらとみ)さん。赤瓦を白漆喰で塗り込んだ屋根に、沖縄独自の低く構えた木造建築。この伝統的な空間で、登美さんが蒐集した琉球漆器や壺屋焼、民具などの工芸品に触れながら、琉球王国時代の香りがする特別な琉球料理を堪能できるのも魅力だ。料理は、肉味噌を小麦粉の皮で巻いた「ぽうぽう」。豚の胃と腸を使った「なかみの吸いもの」は、内臓の臭みを消すために何度も水洗いをし、短冊に刻み、さらに鰹節と肉出汁をしみこませる。手間と暇を惜しまず、丁寧に仕込みをするのが琉球料理の神髄だ。「琉球では諸外国の影響で個性的な食文化が生まれました。その琉球文化を途絶えさせてはいけないという創業者の思いを、料理や空間から感じてもらえたら」と女将の古波藏德子(こはぐらのりこ)さん。