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さて、その鮒寿しが、熟れ寿しとして人気を呼ぶこととなり、平安期以降、日本各地で、鮒以外の魚をご飯に漬け込む熟れ寿しが生まれた。
 保存食という形でスタートした熟れ寿しだが、珍味としても重宝され、いつしかご飯と魚を合わせるだけ、という早寿しが流行し始める。それをさらにスピードアップしたのが、今の江戸前鮨である。
 ご飯が発酵する過程で生じる酸味を、酢を使うことで、最初からご飯に施すという発想が、いかにもせっかちな江戸っ子らしいところ。
 酢と塩でご飯に味を付け、それと魚を合わせ、即席の熟れ寿しを作るここでポイントとなるのは酢。酢もまた、発酵というプロセスを経て出来上がる調味料。時間の長短はあれ、奈良時代に作られ始めた鮒寿しと、今の江戸前鮨は、同じ発酵食ということになる。
 ではあるが、ベルトコンベヤーに載って運ばれてくる、回転寿司や、スーパーマーケットで売られているパック寿司も、発酵食の範疇に入るかと言えば、これはいささかなりとも疑問が残る。
 前者の場合は、回転台の中で職人が握っているケースもあるが、多くは後者と同じく、寿司ロボットが作っている。その様子を見たことがあるが、ネタは寿司飯に瞬時に押し付けられ、寿司の形になる。言ってみれば刺身載せご飯である。
 これと江戸前鮨が明らかに異なるのは、職人の手によって、寿司ネタと寿司飯が、熟れ合わされること。
 職人によって、その握り方はさまざまで、小手返し、本手返し、横手返しなどがある。多少の時間の違いはあるものの、どれも職人の指先で寿司ネタと寿司飯をなじませ、瞬間的に熟れさせる。寿司飯の酢が短い時間ながら寿司ネタに浸透するのだ。
 なんともあっぱれな知恵である。江戸前鮨の名店などで、主人の握る姿を見ると、指先に全神経を集中させ、幾度か握り返し、そっとつけ台に置く様などは、いなせ、粋、そのものだが、そこには発酵や熟成といった、日本古来の手法が発揮されているのである。
 余談になるが、近年どうも刺身が苦手な食べ物になってきた。とりわけ大きな切り身だと、のどを通りづらくなり、ましてや船盛りなどは、見ただけでうんざりする。だが不思議なことに鮨という形になると、いくらでも食べられる。そんな話をすると共感の声を上げる友人は少なくない。
 きっとこれは、発酵と関係があるのだろうと思っている。
かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。
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