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食語の心 第19回
作家 柏井壽
前回、新蕎麦を味わうには塩が一番と書いた。新蕎麦ならではの青い香りを愉しむには、蕎麦つゆの風味がいくらか邪魔をする。そんな意を込めて書いたのだが、これを店から強要されるとなれば、話は別である。
 ここ数年の傾向だと思うのだが、店で食事をする際、塩で食べよ、と押し付けられることが多い。
 最も顕著なのは、先に挙げた蕎麦屋。新蕎麦の時期でもないのに、まずは塩で食べよ、と言われるのはあまり愉快なことではない。
 あるいは天麩羅屋。穴子などは、大根おろしをたっぷりと混ぜ込んだ天つゆに浸して食べると、実に旨うまいのだが、揚げ手の主人は、塩で食べると魚の質の良さが際立つと言う。
 京都には、天つゆを一切出さず、最初から最後まで塩だけで食べさせる天麩羅屋があり、星が付くほどの人気店だが、僕には苦痛でしかなかった。
 焼き鳥屋や焼肉屋でも、近年は同じような傾向があって、上質の肉は塩で食べるようすすめられる。魚と同じく、肉本来の旨さが味わえる、というのがその理由だ。
 はたしてそうなのだろうか。料理屋たるもの、それでいいのか。店で塩を付けて食べるとき、僕はいつも疑問に思う。
 塩梅という言葉がある。調味に使う塩と梅酢のことを指すが、転じて、食物の味加減を言う。そしてその、塩梅を計るのが料理人の仕事ではなかったのか。
 揚げた天麩羅や、握った鮨に、料理人自ら塩を振るなら分からなくもないが、客に塩梅を委ねてしまっては、調味と呼べないだろうと思う。
 塩加減、もしくはさじ加減という言葉もある。付ける塩の量によって、大きく味が変わる。その肝心要を客に任せるのはいかがなものか。 
 やれモンゴルの岩塩だ、何千年も前の塩だと言って、それを味わい分けよ、と言われても、さほどの違いを感じることなど出来はしない。微妙な味の異なりを感じるとすれば、塩の種類ではなく、付けた塩の量だろう。
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