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ライトアップでカナダの国旗が映し出された国会議事堂の時計台(ピースタワー)。夏にはサウンド&ライトショー、冬にはクリスマスのイルミネーションイベントが行われる。
同じイギリス領となったのちも、イギリス系住民が住む現オンタリオ州のアッパー・カナダ、フランス系住民が住む現ケベック州のローワー・カナダは、しばしば対立する関係にあった。1841年には、アメリカからの脅威に備えるために、アッパー・カナダとローワー・カナダを一つにした連合カナダが成立。だが、その中でも主流派をなしたイギリス系住民にフランス系住民が反発し、数年おきに首都が両州の間で行き来する状態だった。
 そうした中、1857年にイギリスのビクトリア女王が、連合カナダの首都をオンタリオ州のオタワに制定。イギリス、フランス勢力の中間地点に位置するオタワが、双方の架け橋となることが期待されたのだ。それまでのオタワは、リドー運河を利用して材木を運ぶ、ランバージャックと呼ばれる木材作業員が集まる田舎町に過ぎず、「ビクトリア女王の気まぐれ」などと批判されたというが、現在のオタワの美と繁栄を見れば、英断だったといえるだろう。カナダ国内では気候のいい南部にありながら、アメリカとの国境から離れた位置にあることも、連合カナダにとっては理想的であった。
 カナダの結束をより強くしたのは、1861年に始まったアメリカ南北戦争である。混乱の中でアメリカに吸収される恐れを感じたカナダは、1867年、自治領として統合した。カナダ建国の瞬間である。 
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