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それらの店に行けば、必ず証拠写真を撮らねばならない。となれば、時には店側の了解も得なければならず、自然と客の立場は弱くなる。
 こうして店に行って、食べた記録を公開するとなれば、悪くは書けない。まして皆が絶賛している店ともなれば、同じように高い評価をしないと、味音痴だと思われかねない。結果、高評価の店はさらに評価が高まり、行列のできる店は、ますます、その行列が長くなる。予約の取れない店は、半年先が、一年先になる。店のインフレ・スパイラルと呼びたくなるような現象が起こり、日本全国どこの街でも、その傾向は強まるばかり。
 我が京都の様子を見ていると、人々はいかに、多数意見に付くかが、手に取るように分かる。
 例えば親子丼で有名になった蕎麦屋では、開店と同時に長い行列ができ、その列が絶えることはない。そして、居並ぶ客のほぼすべてが、親子丼を注文し、食べる前に必ず写真を撮る。こうなると、食事というよりイベントである。有名なお寺に行って記念撮影するのと、何ら変わりはない。金閣寺をバックにするか、親子丼を前にするか、の違いだけ。
 無論まずくはないから、満足する。投稿も絶賛調なら、口コミサイトへの書き込みも高点数になる。
 どんなにこの店に旨い蕎麦があろうと、食べるのは親子丼でなければならない。かと言って、他にどれほど親子丼の美味しい店があっても、この店でなければならない。美味しい親子丼を探して、この店に行き着いたのではなく。この店で親子丼を食べることが、眼目なのだ。こうして、食はますますイベント化していき、そして味覚も鈍っていく。
 美味しいかまずいかを判断する能力が欠如し、多数意見に従うことで安心感を得るようになる。
 その行き着く先は、可食かどうかすら、自分で判断できなくなり、記載された賞味期限に頼るしかなくなってしまう。
 その結果、日本は世界でも類を見ないほど、多くの残飯を出すようになってしまった。飢餓で命を落とす子供が世界にあふれている中、なんとも申し訳ない話。今一度、美食という言葉の意味を見直すべき時が来ている。
かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。
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