
門上さんが代表取締役を務める食のプロデュース企業、ジオードにて。料理イベントの他、料理人やパティシエとの食の共同開発も手掛けている。
門上武司(かどかみ・たけし)
フードコラムニスト、ジオード代表取締役
1952年大阪生まれ。フードコラムニスト。料理雑誌「あまから手帖」の編集顧問を務める傍ら、食関係の執筆・編集業務を中心に、プロデューサーとして活動。「関西の食ならこの男に聞け」との評判が高く、テレビ、雑誌、新聞等のメディアでの発言も多い。著書に『僕を呼ぶ料理店』(クリエテ関西)、『スローフードな宿』(木楽舎)など。
門上武司(かどかみ・たけし)
フードコラムニスト、ジオード代表取締役
1952年大阪生まれ。フードコラムニスト。料理雑誌「あまから手帖」の編集顧問を務める傍ら、食関係の執筆・編集業務を中心に、プロデューサーとして活動。「関西の食ならこの男に聞け」との評判が高く、テレビ、雑誌、新聞等のメディアでの発言も多い。著書に『僕を呼ぶ料理店』(クリエテ関西)、『スローフードな宿』(木楽舎)など。

日本の食のトレンドリーダーである、大阪
Photo Masahiro Goda Text Rie Nakajima
「天下の台所」「大阪食い倒れ」と大阪は、いつの時代も“食"抜きでは考えられない。この豊かな食文化を形成してきた原点を、「あまから手帖」の編集顧問であり、関西の食の第一人者、門上武司さんに聞いた。
「みなさんご存じの通り、大阪は“天下の台所"と呼ばれていました。豊臣秀吉が大坂城を築いたころ、大阪は既に摂津、河内、近江など近隣地域からは河川を使って、阿波、播磨、備前、備中、備後、伊予などからも海路で魚類、青物、乾物が運ばれて来る物流の拠点でした。その後、江戸時代に北前船が往来するようになってからは、北海道などの遠隔地からの食材が集まる“天下の台所"となったわけです。大阪に集められたものは、大阪商人の手により、新たなモノとして全国へと流通していく。こうして江戸時代から大阪は、日本の食のトレンドリーダーのような役割を果たしていたといえます」
「みなさんご存じの通り、大阪は“天下の台所"と呼ばれていました。豊臣秀吉が大坂城を築いたころ、大阪は既に摂津、河内、近江など近隣地域からは河川を使って、阿波、播磨、備前、備中、備後、伊予などからも海路で魚類、青物、乾物が運ばれて来る物流の拠点でした。その後、江戸時代に北前船が往来するようになってからは、北海道などの遠隔地からの食材が集まる“天下の台所"となったわけです。大阪に集められたものは、大阪商人の手により、新たなモノとして全国へと流通していく。こうして江戸時代から大阪は、日本の食のトレンドリーダーのような役割を果たしていたといえます」