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流刑の僧侶が造った庭
もう一つ、五島家ゆかりのものが城郭内に現存する。それは、石田城五島氏庭園である。幕府から築城を許され、8割程度できあがった1858(安政5)年に家督を譲った盛成は、2年もの歳月をかけて、隠殿(いんでん)屋敷と心字が池庭園を造らせた。城郭内にある庭園は保存例が少ないという。1991年に国の名勝に指定された後、老朽化が激しく、2010年から6年かけて修復。これに出資もした現当主の五島典昭さんはいう。
 「この隠殿と庭園を造らせた盛成は、子供時代を江戸で過ごしたので、佐藤一斎(いっさい)に儒学を学んだり、茶道をたしなんだりと、かなり教養の高い人でした。それを証明するのが、流刑でこの福江島にやって来た京都の僧、全正に作庭を任せたことです。審美眼がある盛成は、京都で修行し、よいものをたくさん見ている彼の力を見抜いていたのでしょう。約3年もの歳月をかけて造った庭は、京都の金閣寺の鏡湖池(きょうこち)を模したもので、実に趣深く、美しい。周囲の庭石と築山は鐙瀬(あぶんぜ)溶岩海岸の溶岩を用いており、植栽としては亜熱帯植物を配置している点に特色があります。あと、どこかから移植してきたのだと思いますが、樹齢840年の楠(くすのき)を植えたのも、盛成と全正の造園への情熱を感じずにはいられません。私は五島家の当主として、この盛成を見本にしたいと思っています」
(左上から)4代藩主の五島盛勝(もりかつ)の時代に叔父の盛清(もりきよ)が3000石を持って富江に分藩した。現在は富江藩陣屋の石蔵のみが残る。 / 堂崎教会は1908(明治41)年に五島で初めての本格的なゴシック様式で建築された。奥浦湾の岬、堂崎に立つ海辺の教会である。 / 1899(明治32)年創建の井持浦(いもちうら)教会ルルド。レンガ造りの聖堂は五島初のロマネスク様式だ。フランスのルルドを模倣した日本初の聖地。 / 航海の安全を祈るために、王直ら明(中国)の人が建立した廟堂の跡が、現在の明人堂だといわれている。この近くに荷揚げ場などがあった。
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