








(左上から)本堂から真東の位置にあるアケガラスは、太陽がある吉兆の絵。 / 天井画の四隅は天女、迦陵頻伽(かりょうびんが)。 / 護摩堂の中に奉納されている絵馬。個性あふれるものが多い。 / 日本野鳥の会の人でもわからない珍しい鳥も描かれている。 / 本堂内陣には、虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)が鎮座する。 / 迦陵頻伽は随一の声の持ち主。その美声を聞くと悟りを開ける。 / 大きなニワトリが2羽。表情豊かに描かれている。 / 祈願の時に藩主が座る場所の天井には尾の長い鳥が。 / 大陸へと五島の海を渡る鳥たちを表現したような絵も。
特筆すべきは、本堂の天井画「121枚花鳥図」だ。中央に龍、四方に天女、花と鳥が交互に描かれているこの花鳥図は、250年ほど前に狩野派に師事した藩の絵師、大坪玄能によるもの。一枚一枚じっくり見ていくと、天女は上半身が人で下半身が鳥の迦陵頻伽(かりょうびんが)であり、極楽鳥やオウムといった異国情緒あふれる図柄である。近年の調査では、秘仏の銅造薬師如来立像が655年に制作されたものだと判明するなど、早くからの大陸との行き来によって育まれてきた、ここ福江島の文化の厚みを知ることができる。
もう一つは、福江島の最西端である玉之浦(たまのうら)町の古刹、大宝寺(だいほうじ)だ。その始まりは、天竺から来た不須仙人が建てた観音院だと伝わる。701(大宝元)年に布教で訪れた震旦(しんたん)(中国)の僧、道融(どうゆう)がこの観音院を発見し、ここを拠点として三輪宗の大宝寺を開山。その後、遣唐使として渡っていた空海が帰朝する際(806年)、ここに上陸し、大宝寺を真言宗に改宗した。空海が真言宗を初めて日本で伝えた地として、「西の高野山」と呼ばれる。大宝寺には、最澄が彫ったという十一面観音像、本堂の内陣には江戸時代初期に活躍したとされる伝説的な彫刻職人、左甚五郎が作ったという猿の彫刻など博物館級の〝お宝〞が眠る。
もう一つは、福江島の最西端である玉之浦(たまのうら)町の古刹、大宝寺(だいほうじ)だ。その始まりは、天竺から来た不須仙人が建てた観音院だと伝わる。701(大宝元)年に布教で訪れた震旦(しんたん)(中国)の僧、道融(どうゆう)がこの観音院を発見し、ここを拠点として三輪宗の大宝寺を開山。その後、遣唐使として渡っていた空海が帰朝する際(806年)、ここに上陸し、大宝寺を真言宗に改宗した。空海が真言宗を初めて日本で伝えた地として、「西の高野山」と呼ばれる。大宝寺には、最澄が彫ったという十一面観音像、本堂の内陣には江戸時代初期に活躍したとされる伝説的な彫刻職人、左甚五郎が作ったという猿の彫刻など博物館級の〝お宝〞が眠る。