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弘世は1360年頃、一の坂川を京の鴨川に、椹野(ふしの)川を淀川に見立て、町を区画。街路名も大路・小路と京風にした。そして中央には「大内館」と呼ばれた、一辺200mの堀や塀をめぐらせた壮大な屋敷が建てられた。その跡地には後年、毛利氏が31代義隆(よしたか)の菩提寺として龍福寺を建立した。
 都へのあこがれがよほど強かったのだろう、弘世はまた京都から八坂神社や北野天神など、多くの神社仏閣を勧請した。残念ながら、当時の面影は薄れているものの、一の坂川沿いをそぞろ歩くと、中世の風を感じる。堤の柳が目に優しく、川のせせらぎが耳に心地よい。両岸を彩る新旧のしゃれた建物も面白い。春には桜が咲き、夏にはゲンジボタルが舞い、雅な光景を描き出す。
瑠璃光寺五重塔
大内文化のシンボル。全国の五重塔の中では10番目に古く、その美しさは「日本三名塔」に数えられる。檜皮葺総檜造り。かつて田んぼの中にポツンと立っていた時代もあったとか。
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