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防府天満宮の境内は文化財の宝庫
幕末の志士、高杉晋作は菅原道真公を厚く信仰しており、彼が創設した奇兵隊では、「菅原大神」と書かれた守護旗を掲げていたほどである。そんな高杉晋作を始めとした幕末の志士たちは、防府天満宮の門前、宮市にあった宿「藤村屋」の離れ「適義楼」を常宿にしていた。それは藤村屋9代当主の藤村孫七は勤王の志が厚く、彼を頼りに高杉晋作、木戸孝允、伊藤博文、山縣有朋、品川弥二郎、坂本龍馬などが集まり、ここで密議を練ったと伝わる。その後、藤村屋は廃業し、離れは防府天満宮に寄贈され、老朽化に伴い解体された。1983(昭和58)年に藤村屋11代当主により、天満宮の茶室芳松庵内に「暁天楼」として往時の絵図面に従って復元された。
 茶室芳松庵は、菅原道真公はお茶に関する故実を調査、研究し、世に喫茶の習慣を広めたとして、“茶聖菅公”と称された。こうした菅原道真公とお茶の深い関わりを後世に伝えるために1991(平成3)年に建てられた。
 この茶室芳松庵の向かい、天満宮の大石段の左手にある大専坊も、幕末の志士らと関わりが深い。中でも伊藤博文は9歳の頃に僧侶であった親戚を頼って、この社坊(神社の中にある寺)の和尚に預けられ書物を学んだという。現在の建物は、伊藤博文が過ごした当時のままだという。そして、1557(弘治3)年には、毛利元就が大内義長を討った時の参謀本部に、さらに幕末には長州諸隊の「遊撃隊」の本部になったのも、この社坊である。
(上左)防府天満宮の大石段の左手にあるのが大専坊。(上右)菅原道真と茶道の深い関わりを後世に伝えるため1991(平成3)年に茶室、芳松庵が建立された。(下左)志士たちの宿だった暁天楼。(下右)天満宮の参道にある、「まちの駅 うめてらす」は、特産品やおみやげを買えるほか、名所案内など観光の情報拠点としても利用できる。また、防府の名物「うめてらすでお笑い体操!」が毎日行われる。防府市まちの駅うめてらす 防府市松崎町1-20 TEL0835-28-0500 umeterasu.jp
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