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カシミアのような肌へ導くオイル美容液
「カシミアのようなテクスチャーのものを作ってほしい」という植村氏の思いをかなえ、2012年に発売された「アルティム8 スブリム ビューティ クレンジング オイル」。高価格であるにもかかわらず、3年間で30万本という驚異の売り上げを誇るこのオイルのファミリーに、オイル美容液が仲間入り。なめらかに、柔らかく肌を整え、極上の“カシミア肌”へ導く。10月1日発売。アルティム8 スブリム ビューティ オイル イン エッセンス 30? 14,040円
「カシミアのようなテクスチャーのものを作ってほしい」という植村氏の思いをかなえ、2012年に発売された「アルティム8 スブリム ビューティ クレンジング オイル」。高価格であるにもかかわらず、3年間で30万本という驚異の売り上げを誇るこのオイルのファミリーに、オイル美容液が仲間入り。なめらかに、柔らかく肌を整え、極上の“カシミア肌”へ導く。10月1日発売。アルティム8 スブリム ビューティ オイル イン エッセンス 30? 14,040円

SHU UEMURA
クレンジングオイルから始まる物語
クレンジングオイルから始まる物語
Photo Takehiro Hiramatsu(digni)
Text Noriko Masumoto( alto)
Text Noriko Masumoto( alto)
NileScope-Beaute Vol.24
日本発であり、今では世界的に多くの熱狂的な支持者を持つブランド、シュウ ウエムラ。このブランド名が、実は一人のメーキャップアーティストの名前だということをご存じの方はどれくらいいるのだろうか。彼の名は、植村秀。2007年に残念ながら永眠したが、その功績は、ビューティー業界にかかわる者なら知らない人はいない。1928年、東京・築地の名家の四男として誕生し、20代になって美容の道を志した彼は、1950年代には日本人として初めてハリウッドにて活躍。シャーリー・マクレーンやフランク・シナトラといった著名人のメーキャップに携わり、さまざまな最先端の技術や化粧品に出合ったという。
帰国した彼は、「もっと女性を美しくしたい」という思いをかなえるため、1965年に「植村秀メイクアップ研究所」を設立。ハリウッドで培った技術、化粧品を使ってメーキャップレッスンを行うサロンを開催した。
そんな彼が、ハリウッドで衝撃を受けたのは、クレンジングに対する考え方だった。撮影の都合でシーンが前後すると、俳優たちはメークを落とさなければならないが、あまり落ちのよくないクレンジング剤でこするようにオフするのが、その時代では常だった。それにより、俳優たちの肌は荒れたり、赤くなったりして、時には撮影ができないほどのダメージを受けていたという。
その時出合ったのが、現在のクレンジングオイルの原形である「アンマスク」という製品だ。「メイクアップは、クレンジングに始まり、クレンジングに終わる」という言葉を残しているほど、クレンジングの重要性を感じていた彼は、その製品の中身を輸入し、日本で販売するビジネスを開始した。それが1967年。当時はオイルでメークを落とすという方法は受け入れられにくかったが、その素晴らしさを伝え続けることにより、ファッションやアート関係者を中心にオイルによる洗顔は認知され始めた。以後改良を重ね、1977年にはオリジナル処方のオイルを発売。約50年の時を経た現在では、全6種のクレンジングオイルを有するまでになり、彼は「クレンジングオイルの父」とまで呼ばれている。
クレンジングオイルをここまでの存在にしたことはもちろん、シュウ ウエムラというブランドは、日本のメーキャップ市場において画期的な革命を度々起こしている。例えば、中身が見えるアイシャドー。透明なケースで、一目で色が分かるというパッケージは今では当然だが、1983の発売当時は話題騒然だったという。また、ブラシやスポンジなどのツールを一般消費者に向けて開発・販売したのも、このブランドが最初だと言ってもいいだろう。素人であっても、ツールを使うことでプロのような美しい仕上がりをかなえられる。それをいち早く体現していたのだ。
女性を美しくすることに並々ならぬ情熱を傾け、「今までになく、誰もやらなかったことに挑戦したい」と言い続けた植村氏の思いは引き継がれ、革新的な製品が次々と誕生している。彼が描いた未来図は、これからも無限の可能性を持って実現されていくに違いない。
●シュウ ウエムラ
TEL03-6911-8560 www.shuuemura.jp
帰国した彼は、「もっと女性を美しくしたい」という思いをかなえるため、1965年に「植村秀メイクアップ研究所」を設立。ハリウッドで培った技術、化粧品を使ってメーキャップレッスンを行うサロンを開催した。
そんな彼が、ハリウッドで衝撃を受けたのは、クレンジングに対する考え方だった。撮影の都合でシーンが前後すると、俳優たちはメークを落とさなければならないが、あまり落ちのよくないクレンジング剤でこするようにオフするのが、その時代では常だった。それにより、俳優たちの肌は荒れたり、赤くなったりして、時には撮影ができないほどのダメージを受けていたという。
その時出合ったのが、現在のクレンジングオイルの原形である「アンマスク」という製品だ。「メイクアップは、クレンジングに始まり、クレンジングに終わる」という言葉を残しているほど、クレンジングの重要性を感じていた彼は、その製品の中身を輸入し、日本で販売するビジネスを開始した。それが1967年。当時はオイルでメークを落とすという方法は受け入れられにくかったが、その素晴らしさを伝え続けることにより、ファッションやアート関係者を中心にオイルによる洗顔は認知され始めた。以後改良を重ね、1977年にはオリジナル処方のオイルを発売。約50年の時を経た現在では、全6種のクレンジングオイルを有するまでになり、彼は「クレンジングオイルの父」とまで呼ばれている。
クレンジングオイルをここまでの存在にしたことはもちろん、シュウ ウエムラというブランドは、日本のメーキャップ市場において画期的な革命を度々起こしている。例えば、中身が見えるアイシャドー。透明なケースで、一目で色が分かるというパッケージは今では当然だが、1983の発売当時は話題騒然だったという。また、ブラシやスポンジなどのツールを一般消費者に向けて開発・販売したのも、このブランドが最初だと言ってもいいだろう。素人であっても、ツールを使うことでプロのような美しい仕上がりをかなえられる。それをいち早く体現していたのだ。
女性を美しくすることに並々ならぬ情熱を傾け、「今までになく、誰もやらなかったことに挑戦したい」と言い続けた植村氏の思いは引き継がれ、革新的な製品が次々と誕生している。彼が描いた未来図は、これからも無限の可能性を持って実現されていくに違いない。
●シュウ ウエムラ
TEL03-6911-8560 www.shuuemura.jp
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