PAGE...1|2|3|4|5
日本は進歩ということを軽んじ過ぎた(中略)敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか 今目覚めずしていつ救われるか 俺たちはその先導になるのだ 日本の新生にさきがけて散る まさに本望じゃないか」(吉田満『戦艦大和ノ最期』) 
 街は空襲によって廃虚となり、戦後、呉港には占領の実行部隊が置かれた。しかし、呉市民はたくましい。
 多国籍軍が駐留したことによる国際色豊かな文化も享受しながら、運動の末、1948(昭和23)年に開港指定を勝ち取った。1954(昭和29)年には、海上自衛隊呉地方総監部が誕生。艦艇の上空を穏やかにカモメが飛ぶ、現在の呉へと至っている。
(上)呉市見晴(みはらし)から望む下蒲刈島方面の島々。瀬戸内海らしい多島美の風景を始め、下蒲刈島の三之瀬、大崎下島の御手洗、タチウオや藻塩の特産物で知られる豊島など見どころが多い。(下)下蒲刈島の蘭島閣(らんとうかく)美術館。かつて下蒲刈島が春蘭の自生する美しい島「蘭島」と呼ばれたことにちなんで名づけられた。日本を代表する画家の作品を展示している。伝統的な日本建築の美しさを追求した総檜造りの美術館の前で、北欧生まれの洗練されたデザインのボルボは、その造形美が際立つ。
PAGE...1|2|3|4|5

記事カテゴリー