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(左)入船山記念館。洋館の壁や天井に全国的にも貴重な金唐紙が見られる。1921(大正10)年に設置された旧呉海軍工廠塔時計は、現在動いている国産電動親子式衝動時計で最初のもの。(右上)大和ミュージアムの入り口に置かれた戦艦「陸奥」の主砲身。背後に海上自衛隊呉資料館の「てつのくじら館」が見える。呉では133隻の艦艇とその他特殊兵器が建造された。(右下)呉海軍工廠の武器庫を改装した旧呉海軍工廠レンガ倉庫の「澎湃館(ほうはいかん)」。呉から出港し、戦死した1万人以上の海軍将兵をしのび、旧海軍で使用されていた品を再現している。



「私は呉工廠周辺の夜空が紅々と照らされるのを見た。(中略)まもなくして巨艦『大和』は呉湾に姿を現した。その堂々たる光景は、今なお私の瞼に焼き付いて離れない」(10分の1戦艦「大和」寄贈碑より)
   「大和」は連合艦隊旗艦としてミッドウェー海戦などの指揮をとるが、航空機の発達で支援任務が中心となる。そして1945(昭和20)年、沖縄特攻作戦で多数の魚雷、爆弾を受け沈没。戦死した臼淵磐(うすぶちいわお)大尉の言葉が乗組員の思いを伝えている。「進歩のない者は決して勝たない 負けて目ざめることが最上の道だ 
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