
呉市の「アレイからすこじま公園」にて。海上自衛隊の潜水艦と護衛艦がいかりを下ろし、鎮守府時代の雰囲気を感じさせる。実際に使われていた旧魚雷揚げ下ろしクレーンも見られる。こうした呉ならではの風景と、気品ある力強さをカタチにしたボルボXC60は、似つかわしい。
撮影協力/ボルボ・カー広島大州
撮影協力/ボルボ・カー広島大州

呉、海と坂の街
Photo TONY TANIUCHI Text Rie Nakajima
横須賀、舞鶴、佐世保とともに、日本海軍の拠点となった呉鎮守府が開庁してから130年。
海軍第一の製造所として、アメリカの量に質で対抗するべく史上最大・最強の戦艦「大和」を生み出したこの街には、今も鎮守府時代から受け継がれるものづくりの技術と精神が宿っている。一方、呉が軍港となる以前から、瀬戸内海の良港として知られた大崎下島(おおさきしもじま)の御手洗(みたらい)は、船乗りたちの潮待ち風待ちの港として、中継商業とあでやかな遊女たちのもてなしにより独自の発展を遂げた。この起伏に富み、瀬戸内海に面した呉の街を、ミッドサイズSUV、ボルボXC60で駆けた。
海軍第一の製造所として、アメリカの量に質で対抗するべく史上最大・最強の戦艦「大和」を生み出したこの街には、今も鎮守府時代から受け継がれるものづくりの技術と精神が宿っている。一方、呉が軍港となる以前から、瀬戸内海の良港として知られた大崎下島(おおさきしもじま)の御手洗(みたらい)は、船乗りたちの潮待ち風待ちの港として、中継商業とあでやかな遊女たちのもてなしにより独自の発展を遂げた。この起伏に富み、瀬戸内海に面した呉の街を、ミッドサイズSUV、ボルボXC60で駆けた。