
ヘミングウェイが好んで通ったパンプローナのカフェ、イルーニャ。現存する店には等身大の像が立つ。
二度目の結婚、そしてスペインへ
1927年1月、ハドリーとヘミングウェイは離婚。ハドリーの荷物を彼女のアパートへ運んだヘミングウェイは、大事なものを失ったという喪失感から号泣したという。ハドリーと過ごしたパリの時代は、のちに遺作『移動祝祭日』として結実することになる。夫失格ではあったが3歳になっていた長男ジャック(愛称バンビ)を連れてよく公園を散歩し、バンビが楽しそうに「パパ、パパ」と呼んだことから、ヘミングウェイも自身をそう呼び、有名なニックネーム「パパ・ヘミングウェイ」が生まれたともいわれる。5月、ヘミングウェイはポーリンと結婚した。
1923年夏。友人たちとスペインへ闘牛を見に行き、翌年には作家業に専念するためトロント・スター紙を退社。以来毎年のようにパンプローナの「牛追い祭り」を楽しむようになり闘牛の世界へとのめり込んでいった。
こうして生まれたのが『日はまた昇る』だ。パリとスペインを舞台に第1次世界大戦における負傷で男性機能を失った新聞記者ジェイクと、美しいにもかかわらずジャージーのセーターにツイードのスカート、髪は短くボーイッシュという当時の女性らしさとは違う価値観を持つブレットが主人公の小説である。
婚約者がいながらジェイクへの断ちがたい思いに葛藤し、気まぐれに男に体を与え、そのはけ口としていたブレットだが、実は大戦で夫を失うという深い心の傷を抱えていた。そんなブレットが、パンプローナで出会ったハンサムな若い闘牛士と逃げる、といったラブ・ロマンスを主軸に、第一次世界大戦に参戦し、戦後人生の方向を見失い自国に安住できず、パリでデラシネの生活に浸っている「失われた世代」の姿を彼独特のスタイルで描いている。
1923年夏。友人たちとスペインへ闘牛を見に行き、翌年には作家業に専念するためトロント・スター紙を退社。以来毎年のようにパンプローナの「牛追い祭り」を楽しむようになり闘牛の世界へとのめり込んでいった。
こうして生まれたのが『日はまた昇る』だ。パリとスペインを舞台に第1次世界大戦における負傷で男性機能を失った新聞記者ジェイクと、美しいにもかかわらずジャージーのセーターにツイードのスカート、髪は短くボーイッシュという当時の女性らしさとは違う価値観を持つブレットが主人公の小説である。
婚約者がいながらジェイクへの断ちがたい思いに葛藤し、気まぐれに男に体を与え、そのはけ口としていたブレットだが、実は大戦で夫を失うという深い心の傷を抱えていた。そんなブレットが、パンプローナで出会ったハンサムな若い闘牛士と逃げる、といったラブ・ロマンスを主軸に、第一次世界大戦に参戦し、戦後人生の方向を見失い自国に安住できず、パリでデラシネの生活に浸っている「失われた世代」の姿を彼独特のスタイルで描いている。

「7月6日、日曜日の正午、祝祭(フィエスタ)は爆発した。爆発したとしか書きようのないものだった」(『日はまた昇る』より)