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最初の妻、ハドリーとパリへ
シャーウッド・アンダーソンの勧めもあり、彼の紹介状を手に作家を目指してヘミングウェイは、世界の芸術の拠点であったパリに向かった。
 新婚の二人がホテル・アングルテールに旅装を解いたのは12月のことで、トロント・スター紙との契約内容は、週給75ドルと採用された記事の原稿料だけだった。ドルに対するフランスの貨幣価値が下落していたとはいえ、当面は新妻が得ていたわずかな母の遺産が生活資金となった。当時のパリには3万を超すアメリカ人が住んでいたのだが、その多くが芸術家を名乗っていたという。
 ガートルード・スタインやエズラ・パウンド、そしてシェークスピア書店の店主シルビア・ビーチらとの交流を通じて作品発表の機会を得て、芸術や政治についての談議を交わし、各地へ取材旅行もした。ある日、修理手順を間違えた自動車修理工場の青年にスタインが抗議すると、工場の主人は「お前たちはみんな失われた世代だね」と叱った。青年もヘミングウェイ同様に軍隊を経験していた。
Pamplona Fiesta
朝8時、爆竹を合図に数頭の去勢牛と一緒に通りに放たれた6頭のトロ(牡牛)は、石畳の街路を通り闘牛場まで駆け抜ける。エンシエロ(追い込み)は牛追い祭りのハイライトだ。
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