
ミュンスター広場から続く旧市街。石畳の広場に座り込んだ学生たちがおしゃべりとランチを楽しんでいた。
バーゼルでの8年間、エラスムスは誰もが聖書を読み、それに基づく生活が営めるよう、福音の言葉を正確にするという仕事を自らに課し多数の著作を残すも、バーゼルにも改革の嵐が吹き荒れ、1529年、ドイツ・フライブルクに居を移し6年間を過ごす。1535年、再びバーゼルに戻り衰弱した身をおして著作に精を出すが、翌年7月12日、友人に見守られながら永遠の眠りに就き、バーゼルの大聖堂(ミュンスター)に埋葬された。「愛する神よ」というオランダ語が最後の言葉だった。
ライン河畔の高台に聳そびえる赤い砂岩の大聖堂は12~ 15世紀に建てられ、ロマネスクとゴシック様式が交じり、聖ガールの門やその内側、回廊の柱頭などにロマネスク彫刻を見ることができる。火災と地震による崩壊で修復が繰り返されたが、その起源は5世紀にさかのぼる。古代ローマ帝国はライン川の上流10㎞に入植都市アウグスタ・ラウリカを築いたが、ゲルマン族の襲撃を逃れ、ここに司教座を移したことからバーゼル発祥の地となったのだ。
ライン河畔の高台に聳そびえる赤い砂岩の大聖堂は12~ 15世紀に建てられ、ロマネスクとゴシック様式が交じり、聖ガールの門やその内側、回廊の柱頭などにロマネスク彫刻を見ることができる。火災と地震による崩壊で修復が繰り返されたが、その起源は5世紀にさかのぼる。古代ローマ帝国はライン川の上流10㎞に入植都市アウグスタ・ラウリカを築いたが、ゲルマン族の襲撃を逃れ、ここに司教座を移したことからバーゼル発祥の地となったのだ。

高い煙突のある古い醸造所の外観を残したまま、ユニークな階段を設けてテナントビルに変身させた建物。