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善光寺 表参道交差点からすぐの善光寺には、幕末の蘭学者、高野長英の碑(勝海舟の撰文による)がある。開国を主張した高野長英は、旧幕府軍に善光寺近くで捕らえられたため。
青山百人町の善光寺
こうした下級武士が住んだのは、現在の表参道交差点の程近く、善光寺(信州善光寺の東京別院)の辺りである。青山百人町と呼ばれ、善光寺の門前として栄えており、現在の青山通りの両側には下級武士の屋敷がひしめいていた。幕末の「江戸切絵図」には、「百人町ト云」とあり、そこが江戸城の本丸と大手三門を警備した鉄砲隊や百人組の組屋敷だったことがわかる。さらに、この切絵には現在の青山通りが、江戸時代に大流行した大山詣(おおやままいり)の際に通る「大山街道」の一部として描かれている。江戸時代から現在の表参道周辺は、常ににぎわっていたようだ。
 信州の別院としてある青山の善光寺は、善光寺第109世が徳川家康に請願し、谷中に7500坪の土地を寄付されて建立した。しかし、1703(元禄16)年の大火により焼失。その後、間口75間、奥行き100間の広さの土地を青山にもらい移された。今でもこれだけの広さがある善光寺の本堂は、やはり風格がある。1915(大正4)年に再建されたもので、本堂の前にある線香立てに葵あおいの紋が付いていることから、徳川家との強いつながりと歴史を感じずにはいられない。
 信州善光寺は、源頼朝を始め、名だたる武将が取り合いをした寺としても有名だ。その別院としての青山の善光寺も、古くからこの地にあるというその意味をうかがい知ることができる。
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