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かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。
混同される向きも少なくないが、〈和食〉と〈日本料理〉は、一般的に別物である。広義の〈和食〉の中核をなすのが〈日本料理〉といったところだろうか。一般には、〈日本料理〉と言えば、料亭や割烹などの料理屋で出されるものと思われている。一方で〈和食〉は肉じゃがや味噌汁、きんぴらなどの、所謂おふくろの味を思い浮かべる向きが多いようだ。当たらずといえども遠からず、だろう。
 つまりは日本ならではの食を包括して〈和食〉。その中で伝統に則のっとった格式ある料理が〈日本料理〉と区別されるのが一般的だ。だがこれが、ひと度海外に出るとまた違ってくるから厄介だ。お好み焼きや鉄板焼き、うどん屋から焼き鳥屋に至るまで〈日本料理店〉となってしまうからである。
 縷々、疑問を述べてきたが、それらはさておき、日本の〈食〉は世界に誇るべきものであることは疑う余地がない。世界各国、それぞれに固有の料理はあるだろうが、我が日本においては、それらとは些か趣を異にする特色がある。
 和食、あるいは日本料理、どちらの言葉を使ってもいいのだが、四季の移ろいと料理が、これほど見事にシンクロする料理は、他国にはないだろうと思う。
 以前にも記したように、食材の旬を大切にしながら、走りや名残も、時に応じて珍重するのが日本ならではのこと。
 初ガツオ、新ジャガ、土用鰻などは季語として、その時期になると広く語られ、文学に彩りを添えるまでに至る。
 ここで着目したいのは、言葉の持つ力。言い換えるなら言霊という、日本ならではの発想だ。
 初ガツオといえども、鰹であることに変わりはない。だが初が付くだけで、特段の味わいを感じてしまう。あるいは土用鰻も同じ。いかに江戸の名コピーライター、平賀源内の言葉があったとは言え、盛夏の一日に、日本中で多くの人々が鰻に舌鼓を打つというのは、考えてみれば摩訶不思議な話である。鰻は取り立てて夏が旬というわけではない。ただただ夏バテを防ぐという目的のために、同じ日に、北から南まで、日本人がこぞって鰻を食べる。
 江戸時代に始まった民間信仰、風習が200年を経た今も、衰退どころか、ますます盛んになる一方、特に近年は鰻が高騰し、決して手軽とは言えない金額なのに、だ。
 こんな国はきっと、世界中探しても他に無いだろう。これこそが無形文化遺産なのだ。続きはまた次回に。
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