

刺し身の後のアラ身はどうするか、と板前が問う。じっくりとアラ煮にして、濃密な味わいを愉しむのもいいが、あっさりと塩焼きにして、淡白な旨みを堪能するのも捨てがたい。迷う客に、ならば半々にしましょうかと提案する。願ってもないことだと客は喜び、燗酒を追加して相好を崩す。
これが割烹の醍醐味だったのだが、そこはまた、客にも相応の知識と、経験を要求される場でもあった。食材や調理法の知識を持たずに、板前と対峙できない料理店ゆえ、一見さんお断り、というシステムが必要だった。だがそれでは客数を増やすことができない。観光客にも広く門戸を広げるためには、ハードルを下げねばならない。
旅人が席を占領する、今の人気店は、おまかせ料理という手法で、それをやすやすとクリアした。
店によっては食事を始める時間まで決められ、居並ぶ客を前にして、主人の口上からスタートし、先付、八寸と続き、最後のデザートに至るまで、客たちは一斉に食べ進める。この間、客と板前の間の遣り取りは会話のみ。主人のダジャレが飛べば、客は一斉に笑いを返す。よほどのことがない限り、途中で料理が変更になることなどない。
厳しい見方をすれば、おまかせと言うより、お仕着せに近い料理なのだが、この方式なら、割烹慣れしていない遠来の客でも、安心して食べることができる。どころか、一気に食通気分にもなれる。何しろ予約困難な店のカウンター席で、主人と会話を交わすことができたのだから。
味にうるさく、料理に一家言持つ面倒な客を相手にするより、何を食べても絶賛し、デジカメに収めて広報役まで務めてくれる客の方が、店側もうんと楽だ。加えて余分な食材を仕入れる必要もなく、最低限のロスで済む。客も店も万々歳となり、この傾向は益々強くなる。
一旦、人気店のシールが貼られれば、放っておいても予約で席は埋まり、メディアも進んで掲載してくれる。その繁盛ぶりを間近で見て、これなら自分にでもできると、自信を付けた若手の料理人が、短い修業で自前の店を持つ。新店情報に飢えているメディアやブロガーが、競ってこれを宣伝し、結果、開店早々から予約困難な店と化す。
これが割烹の醍醐味だったのだが、そこはまた、客にも相応の知識と、経験を要求される場でもあった。食材や調理法の知識を持たずに、板前と対峙できない料理店ゆえ、一見さんお断り、というシステムが必要だった。だがそれでは客数を増やすことができない。観光客にも広く門戸を広げるためには、ハードルを下げねばならない。
旅人が席を占領する、今の人気店は、おまかせ料理という手法で、それをやすやすとクリアした。
店によっては食事を始める時間まで決められ、居並ぶ客を前にして、主人の口上からスタートし、先付、八寸と続き、最後のデザートに至るまで、客たちは一斉に食べ進める。この間、客と板前の間の遣り取りは会話のみ。主人のダジャレが飛べば、客は一斉に笑いを返す。よほどのことがない限り、途中で料理が変更になることなどない。
厳しい見方をすれば、おまかせと言うより、お仕着せに近い料理なのだが、この方式なら、割烹慣れしていない遠来の客でも、安心して食べることができる。どころか、一気に食通気分にもなれる。何しろ予約困難な店のカウンター席で、主人と会話を交わすことができたのだから。
味にうるさく、料理に一家言持つ面倒な客を相手にするより、何を食べても絶賛し、デジカメに収めて広報役まで務めてくれる客の方が、店側もうんと楽だ。加えて余分な食材を仕入れる必要もなく、最低限のロスで済む。客も店も万々歳となり、この傾向は益々強くなる。
一旦、人気店のシールが貼られれば、放っておいても予約で席は埋まり、メディアも進んで掲載してくれる。その繁盛ぶりを間近で見て、これなら自分にでもできると、自信を付けた若手の料理人が、短い修業で自前の店を持つ。新店情報に飢えているメディアやブロガーが、競ってこれを宣伝し、結果、開店早々から予約困難な店と化す。