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(左上から)「乃木坂」駅近くにある明治時代に活躍した軍人であり明治天皇の崩御の際に殉死した乃木希典を祀った「乃木神社」。 / 乃木神社前を西へ外苑東通りへと上る「乃木坂」。江戸時代には幽霊坂、行合坂、膝折坂とも呼ばれていた。 / 国立新美術館内にある旧歩兵第三連隊兵舎の模型。この一部を「国立新美術館別館」として残している。 / 東京ミッドタウンの東側にある「檜町公園」は、毛利家の屋敷にあった庭園の場所に位置する。庭園内の池は当時の形をとどめる。 / 外苑東通り沿いにある地上54階高さ248mの大規模複合施設「東京ミッドタウン」。防衛庁跡地を開発し2007年3月に開業。 / 国立新美術館の全面ガラス張りの壁面からは、自然光が内部に注ぎこみ幻想的な空間をつくりだしている。 / 赤坂氷川神社に向かう道にも趣が感じられる。このあたりは坂道が多く神社は小高い坂上に位置している。 / 六本木二丁目の広い敷地にあるアメリカ大使館職員宿舎。周辺には寺社仏閣や住宅街が広がり落ち着いた雰囲気が漂う。 / 赤坂氷川神社の境内。樹齢400年の大銀杏などが生い茂り、都会の喧騒を忘れさせてくれる場所。
米軍からの返還、そして多くの人が訪れる街・六本木に
1952年にサンフランシスコ平和条約が発効され、米軍による接収が解かれると、東京ミッドタウンの場所は1960年から40年もの間、防衛庁本庁としての役割を担うこととなる。一方、アメリカ文化を発信する街・六本木としてのにぎわいは衰えず、日本の若者たちも集まる流行発信の街としての顔も持つようになっていった。特に、東京オリンピック開催に合わせ1964年に日比谷線が開通すると、交通の便が飛躍的に改善し、多くの人がさらに集まるようになり、新宿や渋谷とも並ぶ繁華街となった。
 時を経て2007年には国立新美術館が開館し、また市ヶ谷に移転した防衛庁跡地には東京ミッドタウンが建設され、六本木・外苑東通りエリアは、近年最新のショップやレストランが進出し、アートの街としても人気となっている。が、今でも、この一帯には大名屋敷の風情が感じられる住宅街や東京ミッドタウンに隣接する檜町(ひのきちょう)公園には藩邸時代の池が残る。これまでの歴史を内包しつつ、新しい街の姿に変化していくこの物語はこれからも続いていく。
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