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1730年に将軍徳川吉宗が造営した赤坂氷川神社の境内。六本木通り・外苑東通りを赤坂方面に入った場所にひっそりと佇む。
大名屋敷が軍人の街を経て、アメリカ文化の発信地へ
東京・六本木は江戸時代、大名屋敷が軒を連ねる場所であった。「六本木」という地名の由来には諸説あるが、「木」に関係する名前の大名屋敷が6軒あったからともいわれている。とりわけ広大な敷地を誇ったのは長州藩毛利家の藩主「松平大膳大夫(まつだいらだいぜんだいぶ) 」の下屋敷(しもやしき)。この場所こそ今の東京ミッドタウンの敷地である。明治維新後、長州藩の出身者らが陸軍の礎を築いたことから、毛利藩邸は陸軍駐屯地になり、この場所は第一師団歩兵第一連隊の駐屯地となった。
 また、外苑東通りを挟んで反対側の一帯には同第三連隊の駐屯地があり、ここに現在、国新美術館がある。さらに、外苑東通りから赤坂駅方面に下る乃木坂には、陸軍大将、乃木希典の邸宅があるなど、このあたりは、大名屋敷から軍人の街としての色を濃くしていった。
 軍人の街となった六本木であるが、終戦とともにこの街の風景はさらに一変する。日本の軍隊の後にアメリカ軍が進駐してきたのである。陸軍の駐屯地であった六本木・外苑東通り周辺のエリアはアメリカ進駐軍によって接収され、米軍の将校宿舎が建てられていった。
 そのため、六本木界隈(かいわい)にはアメリカ人を相手にする飲食店などの店が次々と造られるようになり、アメリカ文化の香り漂う街へと変化していった。日本で初めてピザやハンバーガーを紹介したのも六本木だといわれている。
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