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(上)カウンター越しのコミュニケーションも陽気なイベリア気質ならでは。
(下)スペイン一新鮮で豊富な魚介類が味わえるといわれるマドリッド。店先に並べられた素材はその矜持。
マドリッドの文化、
それはマドリッドの食欲が牽引する文化
 マドリッドの食文化を語る際に無視できないのが、スペイン独特の食習慣と、バルやタベルナとよばれる外食産業の存在だ。外食の習慣と産業がこの都市の食文化の一方の牽引役を担ってきた。その極みが、バルで摂るメリエンダ(夕間食)のタパスだ。スペインでは近世にいたるまで、アルコールのみの提供がバルの基本であった。しかし、TAPA(蓋)という名が示すように、客へのサービスもかねた蠅よけとして、チョリソやパンでグラスを覆うという様式ができあがった。その一般化の過程でバルの食事、つまりタパスのバリエーションも増えていったという。もっとも、当時のバルは旅籠や荷馬車の中継地に付随した形態が多く、移動や物流の要として機能していた。それゆえ、遠来の食材が大衆化する以前から、それらの流通を常時確保できる環境だったことが、今日にみる『家庭料理』との差別化の基礎になったといえる。当時のマドリッドにおいては魚介類の保存食が好例だろう。
 マドリッドの食事情は1980年代に激変した。急速に進んだ核家族化と女性の社会進出。その結果、手間、暇を要する家庭料理は、徐々に外食がその役割を担いつつある。加えて、世界規模で進む都市生活様式の均一化がもたらした影響も無視できない。背景にあるのが、スペインの戦後史の影響だ。銃声が世界史の歯車を大きく回転させた第二次世界大戦の前後、スペインは内戦という巨大な迷路に迷い込む。ついで内戦から1975年の王政復古にいたるまでの時代、フランコ独裁という半鎖国状態は、様々な意味においてスペインの暗黒時代を成した。文化においてもしかりである。世界が大戦を経て、『現代』という新しい時代を享受していたにもかかわらずだ。
(上)マドリッドっ子たちの御用達タパスがここ『LA CASTELA』。
(下)巨大な器に盛られたパルミジャーノ。家庭では味わえないタパス流の食欲の喚起だ。
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