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正式の名称は、香港墳場。日本人墓地という名称は記されていない。
「判読できない墓石を洗い、墓地記録簿と照合しながらの作業でした。名前もなく整理番号だけのからゆきさんの合同墓石なども。調べきれない墓石もありますが、墓石は何も語らないようで、全てを語っている」
 その声を聞くために、四季折々ここを訪ねる。日本に遺骨を持ち帰る人が大半で、訪れる遺族はほとんどいない。
「一番古いのは、1878年フランス留学の帰途に22歳で病死した陸軍少佐のもの。明治時代は20代が多く、若くして海外に出たものの夢果たすことなく異郷の地で果て、忘れられている彼らに胸が痛む。1918年にはハッピーバレーの競馬場の大火災で、日本人が22人も亡くなっている。近年では、元日本人学校の女性教師もここに永眠されている」
 香港ではまだ真夏日の秋の彼岸の午後、菊の花と使い込んだ数珠を手にとり、杖を突きながら子息と共に、墓石に頭を下げて歩く。
「少し前までこの墓地の見える病院に入院していました。今日は元気になった報告も兼ねてのお参りです」
 現在も道場で100人に教えており、世界に数万人の弟子がいる。香港の柔道の父ともいわれている。その道場も警備会社も、まだ息子には任せておらず、「ここに入る最初の現役日本人になる」と豪快に語る。
1919(大正8)年に日本人慈善会によって建立された萬霊塔。毎年ここで日本人倶楽部が慰霊祭を行い、多くの日本人が焼香に訪れる。日本人倶楽部が定期的に墓掃除をしている。
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