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香港墳場にある日本人墓地
今日、香港には年間100万人近い日本人観光客が訪れ、約2万7000人の日本人が住む。バブル時代からは半減したものの、日本人には最もなじみのある外国の一つ、といえるだろう。第2次大戦下では、3年8カ月にわたり日本軍が占領し、名門ペニンシュラホテルを接取。本部として日章旗が翻った。香港島にある総督邸は、日本によって和洋折衷に改造され、今もその和式の屋根部分が残っている。
 この波乱に富んだ歴史を歩む都市国家に、最初に日本人が訪れたのはいつごろだったのか。日本が鎖国政策をとっていた17~ 19世紀半ば、帰国できなくなった商人や武士、船乗りが定住したケースもあったようだ。が、当時香港は、辺鄙(へんぴ)な漁村に過ぎず、マカオが港として栄えていた。珠江河口が土砂の堆積(たいせき)で港として適さなくなった19世紀に入ると、香木の積みだし港であった香港に、徐々に商いが移るようになった。
 1830年代に遭難しマカオに滞在していた九州の船乗り4人が、香港に居を移した。鎖国が終わるまで、日本人の記録として残されているのはこの4人のみだ。19世紀半ばには、英国ジャーディン・マセソン商会が香港で勢力を増し、良港に恵まれた香港が東西交易の中心地となった。
 1873年に日本領事館が開設されると、領事館員と小間物屋、理髪店などの数名が移り住んだ。70年代後半には、日中貿易の強化のため三井物産などの商社や船会社などから男性26人、からゆきさんら約60人が移住した。1889年には日本人も倍増、大半がセントラルに居住した。
(上)幹線道路を隔てて墓地に隣接するハッピーバレーの競馬場越しに、ワンチャイとコーズウェイベイの街並みが望める。
(下)2万坪余りの外人墓地のごく一部が日本人墓地となっている。ここに眠るのは大半が英国人で十字架の墓などが多く、日本人の墓は一目で分かりやすい。
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