
墓の名前の上に「日本」や「大日本」と記されたものが多い。ここに葬った遺族や友人が、死者への望郷の念を察してのことだろうか。
1965年には日本料理店を備え、セントラルへ。当時はここが香港での唯一の和食レストランであった。1969年には日本人倶楽部から、99社が発足人となり商工会議所が独立。1977年から5年間は、九龍半島側にも日本人倶楽部の分室を持った。そして、1982年に再びコーズウェイベイに戻り25年近く活動するが、2006年に現在のコーズウェイベイの商業ビルに移転した。1階は日本でも人気の小龍包店「鼎泰豐(ディンタイフォン)」。18階部分には、日本人倶楽部と日本人商工会議所があり、19階で経営する和食店「さくら」は、香港の日本通には人気の店だ。日本文化をテーマに、香港のコミュニティーも参加できる多様な催しも行っている。
「香港人の飾らない、ストレートな気質は付き合いやすい。香港人と日本人、そして、コスモポリタンな町に集まる多様な文化圏の人々と交流する機会を多く設けたい。ビジネス面でも、近年は香港と日本の相互関心が高まっており、経済・社会面で両国の架け橋となれれば」
広東語はまだ不自由だそうだが、足取り軽くコーズウェイベイの入り組んだ裏道を自分の庭のように歩く。