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銅鑼湾(コーズウェイベイ)の騒がしさからは、想像しにくい「日本人倶楽部」のたたずまい。1880年に創設された「日本人慈善会」を前身に、「日本人倶楽部」としては60年の歴史を持つ。今では「日本人商工会議所」と隣接、現在の香港在住日本人の経済・社会活動の拠点になっている。
香港と日本人
Photo Masahiro Goda
Text Koko Shinoda
20世紀末「借りた場所の借りた時間」の呪縛をとかれ、より強固なコスモポリタン都市となった香港。この数奇な運命をたどった都市には、今も昔も多くの日本人が関わっている。
日本人倶楽部と日本人墓地を支える二氏を訪ね、その歴史をひもとく。


香港の日本人倶楽部
九龍半島対岸、ビクトリア湾を隔てた香港島北部、湾仔(ワンチャイ)の西に接する、銅鑼湾(コーズウェイベイ)。商店が密集する活気にあふれた一角で、香港通の観光客には人気だ。ここに堤防を築いた英国がコーズウェイベイと命名、アヘン戦争時代にはジャーディン・マセソン商会が大倉庫を構えていた。
 現在も正午になるとジャーディン・マセソン商会の社員が、湾に向かって空砲を撃つ。「ヌーンデイ・ガン」と呼ばれ名物になっているそれは、かつて商船を迎える合図であった。英国の俳優で作家でもあったノエル・カワードがヌーンデイ・ガンについて書き、今日の音楽の歌詞などにもしばしば登場する。
「香港は二流市民のための一等地」と称したのもカワードだが、今や香港は経済都市となり、優れた人材の集まるコスモポリスとなった。国際金融都市、そして中国へのゲートウェイとして不動の地位にある。
 日本人による経済活動も活発である。それに伴い、香港華僑の日本文化への感心も高まっているようだ。
 そごうデパートなども目に付くコーズウェイベイ商店街の中心部に、日本人倶楽部と日本人商工会議所がある。昔日本人村があったワンチャイにも近い、日本人ゆかりの地でもある。が、それは単に、不動産価格が東京を追い抜いた香港中心部にあって、家賃が高騰したなどの事情によるものだとか。
「そんな理由で、香港日本人倶楽部は半世紀の間何度も引っ越しているのですよ。返還直後に不動産価格が下落した時に、物件を購入すべきだったのでしょうが……こちらでは家主が強くてね」
 と、2011年から香港日本人商工会議所・香港日本人倶楽部事務局長を務める柳生政一氏は語る。30年前に保険関係の仕事で香港に転勤,以来3度目の香港在住となった。ロンドンにも在職した経験からか、物腰がどことなく英国紳士風だ。
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