

(左)都久夫須麻神社の拝殿。『平家物語』の中で、平経正が琵琶を弾いた場所とも伝えられる。
(右)「巳(みい)さんは、世界中のどの宗教でも金寶冨貴の神様なんです。その土地の洞穴には必ず巳さんが描かれてるでしょ?」と都久夫須麻神社・宮司の生嶋厳雄さん。
(右)「巳(みい)さんは、世界中のどの宗教でも金寶冨貴の神様なんです。その土地の洞穴には必ず巳さんが描かれてるでしょ?」と都久夫須麻神社・宮司の生嶋厳雄さん。
都久夫須麻神社が祀る4柱の神
宝厳寺を後にし、舟廊下を渡って都久夫須麻神社本殿に向かう。迎えてくれたのは宮司の生嶋厳雄さん。信仰の源流をたどりつつこう語る。「竹生島が信仰され始めたのは2、3000年も前のことです。湖畔に住む人たちは魚や貝などの食糧の恵みに感謝し、一方で大雨が降ると水位が上がって家が潰されることを非常に恐れた。それでいつも琵琶湖に向かって拝んでたんでしょうね。向こうに見える〝ひょっこりひょうたん島〞に手を合わせて。その時に多分、彼らは巳(みい)さんの姿を思い浮かべた。豊かな恵みをもたらす水の神様としてね。それからです、金寶冨貴の神様になったのは。信長も秀吉もその祈願にここへ来たんですよ。
神仏習合の時代には、弁才天もこの本殿に祀られていました。竹生島弁才天社だったんです。それがある日突然、法律で仏教と神道に分けられた。1871(明治4)年の神仏分離令です。それで仏像は置いたらアカンということで、今は宝厳寺の本堂、弁才天堂に安置されてます。でも、弁才天は市杵島比売命(いおちきしまひめのみこと)という神さんとして、ここに残ってます。そういう経緯があるから、面白いことに、うちは神社なのに信者さんの1割……はないけど7%くらいはお坊さんなんです。お坊さんでも考え方はいろいろで、『こっちが本物や』と参られる方もおられるんですね。まぁ、建物からして弁才天堂は1942(昭和17)年に建てられたもので、こちらは450年前に秀吉が寄進した伏見桃山城の日暮御殿(ひぐらしごてん)(勅使殿(ちょくしでん))を移築したとも伝えられる国宝ですからね」
神仏習合の時代には、弁才天もこの本殿に祀られていました。竹生島弁才天社だったんです。それがある日突然、法律で仏教と神道に分けられた。1871(明治4)年の神仏分離令です。それで仏像は置いたらアカンということで、今は宝厳寺の本堂、弁才天堂に安置されてます。でも、弁才天は市杵島比売命(いおちきしまひめのみこと)という神さんとして、ここに残ってます。そういう経緯があるから、面白いことに、うちは神社なのに信者さんの1割……はないけど7%くらいはお坊さんなんです。お坊さんでも考え方はいろいろで、『こっちが本物や』と参られる方もおられるんですね。まぁ、建物からして弁才天堂は1942(昭和17)年に建てられたもので、こちらは450年前に秀吉が寄進した伏見桃山城の日暮御殿(ひぐらしごてん)(勅使殿(ちょくしでん))を移築したとも伝えられる国宝ですからね」