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都久夫須麻神社の本殿。庇部分の脇羽目(わきはめ)は、大ぶりな牡丹と渦を巻くような唐草の彫刻で埋められている。安土桃山時代を代表する美術作品の一つだ。
いずれにせよ、竹生島が古来、神の宿る島として崇拝の対象になっていたことは確かだろう。実際、都久夫須麻神社は459(雄略天皇3)年にその浅井姫を祀る小祠(しょうし)ができたことを創始としている。
 船のデッキに立ち、風を受けながらそんな伝説に思いを馳せるうちに、みるみる島が迫ってきた。
「あれこそ聞え候竹生島」
 木曽義仲討伐のために北国へ赴く途中で、平経正(たいらのつねまさ)が聞いた供の声が心にこだまする。『平家物語』巻七の「竹生嶋詣(もうで)」に描かれた挿話では、経正はその声に心を動かされて島へ渡り、竹生島明神を拝し、経を読んだのだ。さらに夜、経正が琵琶を弾くと、その音に感応して明神が白龍となって現れたとか。
 こういう神にまつわる物語は、竹生島の弁才天信仰が地霊(ちれい)への信仰を古層として形成されたことを如実に示しているように思う。
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