竹生島へ
竹生島は湖北の長浜港から約12㎞の距離。約30分の航路だ。はるか遠くに見えた島影が、しだいにくっきり輪郭を表してくる。宝厳寺(ほうごんじ)と都久夫須麻(つくぶすま)神社(竹生島神社)という寺社のみで占められた、周囲2㎞のこの花崗岩(かこうがん)でできた小さな島に、まさに「湖上の聖地」たる神秘を感じる。
島の由緒が面白い。『近江国風土記逸文』が伝える話によると、「伊吹岳の神が姪の浅井岳(現・金糞(かなくそ)岳だけ)の神と高さを競って負けてしまった。浅井の岡が一晩のうちに高さを増したのだ。怒った伊吹岳の神は浅井岳の神の首を切り落とした。その首が琵琶湖に落ちて島となった」というのだ。神様は意外とやることが残酷だ。931(承平元)年の『竹生島縁起』はこの伝説の立場をとってか、浅井姫の首が沈む時に「都布都布(ずぶずぶ)」と音を立てたことから島の名を「都布夫島」といい、この島に最初に生えた竹にちなんで「竹生島」と書く、としている。もっとも島の名は「(神を)斎(いつ)く島」に由来し、その「いつくしま」が「つくぶすま」に変じて「竹生島」になったという説もある。
島の由緒が面白い。『近江国風土記逸文』が伝える話によると、「伊吹岳の神が姪の浅井岳(現・金糞(かなくそ)岳だけ)の神と高さを競って負けてしまった。浅井の岡が一晩のうちに高さを増したのだ。怒った伊吹岳の神は浅井岳の神の首を切り落とした。その首が琵琶湖に落ちて島となった」というのだ。神様は意外とやることが残酷だ。931(承平元)年の『竹生島縁起』はこの伝説の立場をとってか、浅井姫の首が沈む時に「都布都布(ずぶずぶ)」と音を立てたことから島の名を「都布夫島」といい、この島に最初に生えた竹にちなんで「竹生島」と書く、としている。もっとも島の名は「(神を)斎(いつ)く島」に由来し、その「いつくしま」が「つくぶすま」に変じて「竹生島」になったという説もある。


(左)観音堂入り口に鎮座する賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)像。びんずる様はお釈迦様最期の教えを聞かれた16人の弟子の一人。触れると病気やケガが治るとされる。
(右)宝厳寺(ほうごんじ)の千手観音像を納めた観音堂から都久夫須麻神社に続く舟廊下。秀吉の御座船「日本丸」の船櫓を利用して建造されたと伝わる。崖にもたせ掛けた懸(かけ)造りの建物だ。
(右)宝厳寺(ほうごんじ)の千手観音像を納めた観音堂から都久夫須麻神社に続く舟廊下。秀吉の御座船「日本丸」の船櫓を利用して建造されたと伝わる。崖にもたせ掛けた懸(かけ)造りの建物だ。