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琵琶湖湖面に突き出るように立つ都久夫須麻(つくぶすま)神社・竜神拝所の宮崎鳥居。願い事を書いたかわらけを拝所から投げ、この鳥居をくぐったら願い事が成就すると言われる。
インドの土地の守り神であったサラスヴァティーは、やがて仏教に採り入れられて、水が豊饒をもたらすことから人々に富を与える仏となった。その名が中国で「大弁才天女」などと訳され、日本に略称の弁才天として伝来。そして仏教が広まった平安時代、川や湖、海などにまつわる土地の守り神が、神仏習合によって弁天社に祀られるようになったという。さらに時代が下がって江戸時代も半ばになると、弁才天は七福神の一員として宝船に乗り、財宝神としての性格を強めていく。「弁財天」の文字が当てられるようになったのはこの頃だ。
 では、竹生島ではどのようにして弁才天信仰が形成されたのか。その内奥(ないおう)を見ようと、船に乗り込んだ。
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